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自然の草木の生命力・移植した花々の生命力

<現場監督>

花が好きな監督補佐は実家から水仙や春蘭を持って来て敷地のあちこちに植えたりしていたが、それらの花はあっと言う間に他の雑草に負けて姿を消して行った。

敷地の中には元々生えている万両、沈丁花、菫、サツキ、椿、山桜、馬酔木、山帽子等がそれぞれの時期に次々と咲くのだが、これらの花々はいずれも頑丈で子孫を確実に増やして行くことから、人間が掘り出さない限り花は絶えない。しかし都会で人間が改良を重ねて大事に育てた植物は野生の植物群の中に植えるとすぐに負けてしまう。

人間も都会生活を続けると知らず知らずのうちに生命力を弱化させているのではなかろうか。田舎の人間は90歳や100歳近くで元気に働いている人が多い。ピンピンコロリを地で行っている。それを望む人は都会と田舎を往復する二重生活を考えるべきではないだろうか。「都会と田舎の二重生活」はやろうと思えばサラリーマンも出来るはずだ。

田舎の花々には上品な華麗さは無い。所々虫に齧られて、穴が開いたり、欠けたり、変色したりしている。それでもそれらの花々には強い生命力が溢れていて少々の環境変化に負けない。自然と共生し、他の種と闘争しながらも自分の立ち位置をしっかり主張する健気な風情がある。そうした生命力を身近に感じることが出来ただけでも田舎の土地を購入した甲斐があった。

<監督補佐>

敷地の中で季節ごとに咲く花々を見ると、植物の本来持っている生命力の強さに驚かされる。当初、購入した土地を見た時に「桃栗三年柿八年」という言葉が頭に浮かんだ。3年で自家製の栗が食べられるなんて素晴らしい、と道中にある道の駅で買った栗の苗木を3本植えたのだが、行く度に精彩を欠いているように見え、2カ月も経たないうちにただの棒切れのようになってしまった。

また、道中に見事な花を咲かせる乙女桜があるのだが、車を止めて花を眺めているとその家の方が、そんなに好きなら挿し木をすればいい、と挿し木用に一部切り取ってくれたことがある。大喜びで家のベランダで50㎝くらいになるまで慎重に育て、敷地に植え替えたところ、これもほどなくしてただの棒切れのようになってしまった。

美味しい実のなるビワが実家にあって、兄がそのビワの種から育てた苗木をくれたので、敷地に植えたこともある。今までの苗木は杉や檜の間に移植したのだが、どうも杉・檜は狭量で他の植物を枯らすのではないか、という監督の意見もあったので、物置小屋近くの狭いけれど直ぐ上に杉も檜もない所に植えた。環境としてはマシだったはずだが、新芽が出る度に鹿に食べられるらしく、わずかの葉っぱで5~6年生き延びたあげく、これもただの棒切れになってしまった。同時期に兄宅で育ったもう1本のビワの苗木は監督の実家で既に沢山の実を付けているという時期に山林敷地では滅びてしまったのである。以来、何かを植えようとは思わなくなった。

外から来る植物には厳しく容赦ない土地だが、元々そこに根付いている植物は異様に強い。

当初、ツツジに似た葉っぱの植物はあったけれど、花を見ることはなかったのだが、間伐作業が進んで行ったある年、今までなかった山ツツジの花が一杯咲いていた。陽が当たるまで何年も何年も待っていたに違いない。同じことがシャクナゲにもあった。雑多な木々が生えているので、シャクナゲがあるとは思ってもいなかったのに、土地購入後15年ほどした5月、木々の隙間に透き通ったようなピンクの大きな花が見えているのに驚いた。種が落ち、成長した後しばらくは花を咲かせていたのかも知れないが、周囲に育ち始めた杉や檜や樫の木の日陰になり、何年も花を咲かせることが出来なかったのだろう。高い樹木の上に咲くツツジに似た真っ赤な花も、敷地に通い始めてから何年も経った春にやっと咲いた花だ。

動けない植物が同じ場所で好機が来るまでじっと待ち続ける生命力に命の不思議を見る思いがする。


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