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梅ケ谷駅のホームの長さ

<監督補佐>

元々、この大内山村は林業で栄えた土地で、購入した現場から約8キロほど離れたところにある最寄り駅の梅ケ谷駅のホームは貨車に積み込む木材に合せてひたすら長く作られている。現在では各停の2両連結の列車さえ朝夕の通勤・通学時間以外はめったに来ず、列車待ちをしている人を見かけたことのない駅で、今となってはホームとしては長過ぎるとしか言えないが、この駅や村のことを年配の人は「戦後復興の時代にはそれは活気があった」と懐かしむような諦めたような口調で言う。

林業が盛んだった頃は購入地の近辺に製材工場があり、大きな水車があり、その工場関係の300世帯が住んでいたという。この為、購入地は元々は小学校の跡地だったという村人もいる。

舗装道路の向かい側はススキが生い茂っている。私達が購入した敷地に立つと聞こえるのは崖下を流れる川の瀬音と小鳥の囀り、谷から吹き上げる風に騒ぐ梢の音が主なもので、人工的な音は一切ない。かつては大変賑わっていたという話を聞くまでは、崖の途中に埋もれ、その一部しか見えていない急須やご飯茶碗のかけらを不思議に思っていたが、それらはここにあったかつてのにぎやかな生活の確かな証、やがて林業を離れて次の生活を始めるのに不要とみなされた品々であった。

<現場監督>

村人との交流は、こちらから接触したことはない。全て村の人から近付いて来て、近付いた人とコーヒーを飲んだりして少し話す。「少年兵として出征したんや」とか「炭を焼いていたんや」とか「この川にも昔はウナギが沢山いてなぁ~」とか。

しかし300世帯の人々が1世帯も居なくなったことについては誰も語らない。炭焼きも製材業も、家族の暮しを支える収入が上がらなくなったからである。ひと集落そのものが消えてしまったのである。産業構造の変化はそれ程凄まじい結果をもたらすものなのだ。



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