BFC5落選展劣悪感想紀行 やり直し編 1-3

※本記事は、私の感想によって傷ついた作者をもう一度、より丁寧に傷つける可能性があります。もう見たくないという方はただちにブラウザバックしてください。また、本稿は対象読者を「私の感想の読者」という極めて限定的な方々に絞っております。そのため過去の感想文を読んでいることを前提とした書き方になっていることをあらかじめご了承ください。


本文の趣旨

 BFC5落選展感想紀行 1- 12は汚点としてそのまま残し、各小説を一から読み直して新しい感想を書かせていただきます。
 なんでそんなことをするかと言うと、前に書いている感想が雑すぎるという指摘が正しいと思うからです。それに、内容が荒んでいる。荒んだ心に武器は危険だとウッソ・エヴィンも言っていた。
 もうひとつ理由があります。他人の批判を書いてるだけのやつらに腹が立っているからです。そんなことをする暇があるなら他人の作品を読んで感想を書け。自分が他人の前を歩み、転んで踏まれて土となれ。
 そしてすでに私の前にはすべての作品に感想を書こうという勇者がいる。これほど心強いこともない。続こう、その意気に。

 最後に予告しておく。
 私は転んで死ぬ。踏むなり避けるなり好きにしてくれ。


1.「飛来」吉田棒一

 登場人物がすべて○○長という肩書を持ったキャラクターで構成されている小説で、私はこの作品をギャグ小説として受け取った。会話の回し方(たとえば「罵声」→「パワハラではないかを確認する」→「フォローの発言」→「フォローを否定してオチをつける」)がギャグでよくみられる手法だ。ただ、やり取りが定型的な印象もあり、もうひとつパワーが欲しいなと思うところが多かった。より強烈な作品に慣らされている身体には、もはや物足りなくなっていたのだと思う。
 いったいなにと比較してるんだ? という話になるが、これは「ぴっころさん」「愛」という作品になる。どちらも強烈だが、特に「ぴっころさん」は一年ほど経ったいまでもはっきり覚えているほど抜けている作品だった。普通とさえ思えるほど平易な文章で書かれながらも異様な緊迫感があり、強烈な字面のオチですべてを破壊され、強制的に笑わされてしまう。いまでも読むと身体に悪いので一日一回の摂取制限がある。私はそうした過去の作品とも本作を比較していると思う。とうていフェアな読み方ではない。ファイトとしてどうなのかという感想も、去年と方向性が同じものを期待し、それと似てはいるがやや落ちるような気がする、という一方的な読み方に起因するものとなっている。そんな感想を書くなと言われても仕方ないだろう。
 それに、本作はそんな次元の挑戦をしている作品ではないと思う。私の手には負えない。よりよい読者に読まれ、その真価を見い出されて欲しい。


2.「めくりの国」津早原晶子

 前回の感想の最後の一文があまりにもよろしくないので、ここでそのフォローもさせていただければ幸い。
 本作に対して私は肯定的な見解を持っており、作者の方の筆力も高いと感じている。少なくとも自分より。自分のもとにいた猫が向こう側に行ってしまうシーンなど、膜の向こうとこちらの認識が混乱させられ、胸に迫ってくる。なにより筆致がやさしい。だから読みやすいし、すっと心に入ってくる。
 ただ、感想を書くにあたってどうしても過去の体験との比較が入ってしまう。それにより、本作はファイトしにいくにしてはやさしすぎるという結論に至った。
 どこか攻撃的なニュアンスのある作品は良かれ悪しかれ記憶に残りやすい。他人に傷をつけるためだ。本作にはそのような攻撃性はなく、主人公の心の向く先はあくまでも安寧にある。それは疲れ果てた心を癒すとても尊いものであると解釈できる。裏側に現実逃避が貼りついていたとしても。
 人の心をやさしく撫でてくれる作品の方がいまの私には合ってるし、そうしたものを味わうのが必要なことだとも思う。なので、本作についてはやるべきことと自分が定義したことを終えたあと、改めて読ませていただければと思う。そしてできれば、感想を書かずに去ることをお許しいただきたい。


3.「準急」なんようはぎぎょ

 本作に対してはやや否定的な見解を示したと思う。ただそれは作品を急ぎ要約してしまったことによって発生した弊害ではないか、と自分の感想を見て思うところがある。だから新たに感想を書く。情けない話だな。
 主人公は無力な一般人のひとりとして描かれ、描写内容からやや斜に構えているような印象を受けるが、それも含めて一般的な勤め人なのだろうというように読んだ。心理描写にリアリティがある、いや、親近感が沸くと言った方がいい。電車通勤をしていた時分を思い出させるほど流れが自然だ。娘に声をかけられたときの反応も含めて。
 謎の女性ボイスが伝えてくるのは、常識から逸脱した行動をしたら現実はどう動くのか、という問いかけだ。内容自体は気の迷いが生じたときに考えそうな種類のものであるが、それが女性からかけられているものであるということに主人公は心を動かされていく。良識ある男性諸君には悪いが、この導入は誘惑としてかなり有効に働くと思う。
 この後に発生する電車内外の出来事など、小説の内容は一気に非現実に飛び出していくが、ここで主人公の心のタフさというか、傍観者としての強みが出る。無関心ではないが、あくまでも自分自身を守るための行動を取る。取ることができる。これは凄まじいエゴに見える。しかし群衆の中のひとりである自分という書かれ方によって、それが普通の人間の反応なのだとこの小説自身が主張しているかのようにも見える。そして、私もそう思う。自分がモブの中のひとりであるという認識があれば、ひとは大きな問題が起きてもそれを他人のせいにして、自分自身の利益を守ることに集中できる。SNSでも同じことが起きてるので身近な話だろう。他人の発言にウンウンと乗る点も見事で、自分自身は発言しないが他人の意見はリポストするという、よくいるアカウントを完全再現している。ぶっちゃけ現実に対する皮肉を描いているという読み方をすれば、その効果を見事に達成している。
 ラストもしっかり落ちている。そうだよな。権力者に矛先が行く。それが傍観者の在り方として完璧だよ。
 だからこそ、申し訳ないと思うが、この作品は普通になってしまったと思う。ストライクゾーンに向けて球を投げることに好感を抱くし、小説として話を展開するべく襲い掛かる様々な事件も読者を飽きさせないようにと作品が頑張っているのが知れて良い。でも最後の一文は何度読んでも作品を普通にしてしまっていると思う。これまで変化球を投げてカウントを整えていたのに、最後の最後でバッターの狙っていたストレートを投げてしまったというようなもったいなさがある。ここにもしストレート以外の魔球が飛んできていたら情緒は砕け散っていた。
 感想を書いているうちに、作者の方にもかなり興味を惹かれたのでフォローさせてもらった。ウザイ絡み方をするかもしれないが、許せ天使よ。


 今回はここまで。
 次回、BFC5落選展劣悪感想紀行『やり直し編 4-6』
 歩きながら読むなよ。

 以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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