BFC4落選展感想 41 - 45

はじめに

 ここからテンプレ。
「#BFC4落選展」のタグがつけられた作品にのみ感想をつけていきます。それ以外の作品はどのような存在であれ無視します。読まれたいと願うブンゲイファイターの心にのみ正対していきたいからです。
 本稿はその性質上、ふんだんにネタバレを含みます。ですので、まずは落選展作品の内容をよく読んでから目を通していただけるとうれしいです。それが作者の方々のためにもなると思いますので。




松尾模糊「旋律の記憶」

 SF掌編作品だが、読書していて非常にちぐはぐしているという感想を持った。この作品、ラストシーンが結構よかったのだが、それ以外がどうもしっくりこない。作品の瑕疵はそこかしこにある校正や推敲の不足からも滲みだしてきている。行頭スペースの有無とかね。
 また、SF的ギミックに関する説明で相当な紙数を持っていかれているというのも問題点だ。それが作品に停滞感を生んで流れを淀ませている。
 絵画がページにでかく表示されるのも悪い方の効果を生んでいる。画とテキストを比較されたとき、この作品はそのゆるさ(単純ミスだけでなく、作品の中枢UXが常に音楽として機能するというまで高められていないということ)によって画の力に負けている印象を受けてしまう。
 でも、この作品が持つ潜在能力はいま書かれている状態より遥かに高いはずだ。同じ枚数同じ作者でも、まだ実力の半分も出てない。
 私はいつでも超全力全開☆プリンセスストライクされたいタイプなので、感じたことはそのまま書いておきます。どないせえっちゅうねん、という内容だけど。

我那覇キヨ「受賞のことば」

 アンタもっとやれるでしょ。イグナイトファング! ああーっと、ついにここでイグナイトファングが出てしまったぁ! まずいですよ! その技はイグナイトファングマンのやつ!
 いいや、まだ書く。イグナイトファング! イグナイトファングは誰もが気軽に使えるものでなくてはならない。なおイグナイトファングの元ネタはインフィニットアンディスカバリーというゲームで開発はトライエース。パブリッシャーはスクウェア・エニックスだ。正式に記述するときはイグナイト・ファング。ごま塩程度に覚えておいてくれ。(ごま塩~の元ネタは合併前のスクウェアなのでトライエースとは関係ありません)
 架空の受賞の言葉という時点でこの作品はメタフィクションなのだが、作品内で作家の仕事は嘘を吐くことだから、ということを明確にすることでこの受賞の言葉に小説的虚構性を付加していく。この作品は小説というか散文というかテキストというか、そうした「誰かが書いた文字列」の持つ性質についてをあけっぴろげに書いている。だから読んでいるとどこかむず痒い気持ちになるし、その一方でそれらしいリアリティを感じてしまう。リアリティというのがポイントだよな。巧い作品だ。
 で、ツイッターでフォローしているからいつもの作風だというのがわかっている。だから題名見た瞬間に嫌な予感がして、読んだらやっぱりそういう作品ですよねーって思う。作家性ってやつは変わらんものだ。だがそのスナイピングと、どうしても巧くまとまってしまうところにイグナイトファング! イグナイトファングマンはよくできた小説の枠組みからもう一歩先を目指して突き進む勇気を求めて時々イグナイトファング! するのだ。
 アンタもっとやれるでしょ。大事なことなので二回言いました。

柊木葵「邂逅まで」

 これは私とあなたが相互に観測しあうことでお互いの価値を担保するという、本当にただそれだけの作品ではないかと思う。その憶測を元にして、ここからひどい感想が書かれる。

 散漫な作品。小説と散文詩の間をいったりきたりしてどちらにもなれないでいる。私という存在もあなたという存在も具体的になんであるのか説明できないし、この物語がなにを志向しているのかということを理性的に説明できない。だがこうした作品自体が世の中に存在しないのかというと、こういう作品はよく見かけられる。自己陶酔的な文芸だ。そこに書かれている意味は内側に閉じていて外に出てくることがない。それは作者の世界の中で完結しており、我々が外側からなにかをいって評価すること自体に意味がない。この作品を「わかる」と書くこと自体が私にとって欺瞞に当たる。だから、冒頭に書いてある薄っぺらい理解というのは私が私自身に対してやっている欺瞞だ。
 ここまで書いた文章を読み返して、よくこんなひどいことを他人にいえるな、という気持ちになった。だが、私はもし自分がこんな作品を書いて、しかも自分がそれに気づいてなかったとしたら、半端な言葉をかけられるよりも感じ想ったことを素直に伝えて欲しいと願う。それで自分がひどく傷ついたとしても構わない。文芸は世界に向かって開かれていなければならない。もっとも、その開かれ方が自分の方を向いていないだけということもある。だから確固たる信念があれば他人がなにをいっても無駄で、だからどこか安心して感想を書いている自分がいる。
 度し難いな。そうキャンベル大佐もいっていた。

大江信「無題」

 難しい話を書くんじゃねえとあれほどいっただろうがよ!!!!! なんだこのBFCの暗部を全部切り取って鍋にぶち込んでよく煮込んで「はいどうぞ☆」と差し出したような作品はよ! 俺はもう容赦なんかしねえからな!!
 みんなのハート、撃ち抜くぞ! バァーン! ブンゲイファイトクラブ怪光線!(CV:三森すずこさんを想定)
 私はこの作品の読解を途中であきらめた。無理だろ。ブンゲイファイトクラブマンはブンゲイしようとしてブンゲイするだけの作品を許さない。わかるように説明してくれ!

 本件に関する苦情はサクロが直接承ります。空リプだと見ないけど。空リプの王リプレウスからのギブアップ宣言でした。

薫「こんなそばに、こんな川が流れているのに」

 主題に川が置かれている通り、流されることそのものがテーマとなっている作品。というように読んだ。川が環境の暗喩で、自分たちの状況に対して介入できるタイミングで介入できなかった主人公たちが(川を見ながら)それを韜晦している。安直な解釈かな。でもいまの私にはそれが限界なんだ。
 この作品も題名を見た瞬間に嫌な予感に襲われた。こういう題名がついているとき、たいてい中身は読みづらく仕上がっている。想像通り、同じ言葉を繰り返すという構造が続く。読みづらい。この反復は意図的なもので、それは主人公たちが自分たちの力では先に進めずに足踏みしていることを文章で表現している。だから読みづらさは同時にそういう表現だというふうに受け取ることができる。そこがもどかしい。ポジティブに評価できるようなもんじゃないが、表現したいことが停滞なのであればこのやり方に理屈はつけられる。
 ま、あまり自分向けの小説ではない。だから読んでぐったりとしたのだし、感想の内容もネガティブで占められている。到底フェアではない。


 本稿は以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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