BFC4落選展感想 61 - 65

はじめに

 ここからテンプレ。
「#BFC4落選展」のタグがつけられた作品にのみ感想をつけていきます。それ以外の作品はどのような存在であれ無視します。読まれたいと願うブンゲイファイターの心にのみ正対していきたいからです。
 本稿はその性質上、ふんだんにネタバレを含みます。ですので、まずは落選展作品の内容をよく読んでから目を通していただけるとうれしいです。それが作者の方々のためにもなると思いますので。

 なお、ここから自力でまとめていた落選展の原稿が使えなくなった。なのでコピペの流儀を変更しなければならない!
※やってみたら大変だったので次回から落選展のリストからコピペさせてもらうことにしました。方針転換です。




Yoh クモハ「乳神様、あるいは菩薩器官」

 あやうくイグナイトしそうになった。狙ってるよなあ……という感想。
 それはそれとして描写がわかりやすいし、ところどころに男を刺す表現がある。だがアプローチの仕方に対してBFC怪光線を使わざるをえない。比較するのはとてもよくないことだとわかっているけど、たぬきと比べると意識的にエッジを利かせて刺そうとしてきてる感が強くなってるな。それが剥き出しにするということなのかもしれないので、その良し悪しについていってもどうしようもないか。こんな感想書かなければよかった。
 女性の胸にフォーカスを当ててから、女は子供を作ると強制的に母になるが男は男のままでいる、と指摘。そうかもな、と思った。(私は男だし子供がいないので本当のところを語ることはできない)。その後、男の指にできた傷が乳首に変わってしまい母乳が出るようになる。こうして子育ての根源的な部分(乳をあげるという行為)ができるようになった男(夫)と主人公の距離が縮まり、より深い愛情(性愛的)が発生するようになる。
 流れはよくできてるしロジックは納得できる気がしたな。
 この題材を選んだからには性的なものを書かないと嘘になる。だからガツンと書いてあるってことも。
 掌編として出来は悪くないと思う。どっから目線だって話だけど、技とかについてどうこういえるものではなく、単純に題材への迫り方くらいしか問題にできる部分がない。盗める技は盗んでおこうと思った。

永津わか「ねこをいだく」

 すげーいい話だったよ。好き。空気の作り方がいいよな。寂しさも。むかしの猫はガジェット的な働きをしていて、本筋は主人公とおじいちゃんの昔話、そしてその喪失感を描き出すというUXに集中している。ラスト一行に諸行無常が端的に示されているのもナイス余韻だ。
 作品そのものの構造を分解していくと、猫がSF的雰囲気作成ツールおよび回想支援装置以外の働きをしているか疑問な部分がある。けどま、読んでなんとなく哀しい気持ちになるというのは語りの力じゃないか。どんな作品も完璧に作られている必要などないし、読んで心が動くというのはそれだけで貴重だ。ただお上手なだけの文芸なんて芸術の域には達しない。
 読ませてくれてありがとう。ハセガワケイスケを思い出したのは内緒な。

ゼロの紙「フラクタルの神様」

 まず私は現代短歌門外漢なのでまるでこの作品のことわからんよ。
 リズムの作り方が定型におさまってないので読むだけでも大変。いわゆる57577に合わせようとするとすぐに狂ってしまう。だから、なぜ短歌という枠組みでこの作品を構築しようとしているのかが純粋に謎。短歌ベースで読んでると自分が壊れそうだったので散文詩として読んだ。そうなるとひとつひとつの文章の意味的つながりとかを見いだすのが難しいよな。だから字面だけみておもしろいのだけ拾っていく、みたいなうわっつらをなでるような楽しみ方以外に選択肢がなくなってしまう。
 限界のnot for me。すでに何回目か数えられなくなってきた。私はいったいなにを受け取ればいいんだ。もちろん、それに正解がないのが文芸というものなので、受け取れなかった時点で資質がないのだ。

比良岡美紀「ある事件/小田嶋悠人」

 おっ、ミステリとかサスペンスの味が濃厚な作品がご登場だ。なにげにこういう素直な作品少ないのよ。ひねくれれば文芸になるってわけじゃないんだぜ。だがひねくれ文章を使って無理やり真相を隠そうとしているので、それを暴かなきゃいけないのが骨だった。そして私はこういう犯人当てクイズめっちゃ苦手なんよ。
 この物語、最後の一行まで何が起きているのか実はあんまりよくわからないまま読んだ。ほんわかと他人の話を聞かされている気分になる。疎外感。ラスト一行でようやく題名にあるところの「小田嶋悠人」というやつがなにをやらかしたやつなのか提示され、そこから逆走してこれまで謎だった記述との間で整合性を取って「あ、こいつバスジャックの被害者じゃなくて加害者だったんか。だから主人公が復讐のために動いてるってわけか」ということになる。本来は探偵がやってくれる部分をこの作品は読者がやんないとだめなわけね。疲れた頭にはきつい作業だった。私、こんなこともできなくなってるの……。
 つらい。

和泉眞弓「炎症の女」

 この読み味の文体が流行ってるのか? 幻想小説くん襲来。いいぞ。でも激戦区なんですよ。私がここまで何回幻想小説と書いたことか。もっとも、全部題材もアプローチも違うから比較しても仕方ないのだけど。
 この作品も文芸しようとして文芸している作品と読んでいてすごく感じた。表現が綺麗すぎるよね。ともすれば予定調和的とさえいえる。読んでいてひっかかることはない。また、かゆみが発生することもなかった。そういう意味では、私の中で形成されたUXは作者の狙い通りになっていない。
 端正に作られた文章と感じるし、リズムがいいのでとても読みやすい。ひとつひとつのイメージも現実と距離が離れていないので、私の脳の限界を試されるようなこともなかった。でも、もしこの作品が肌に迫る文章というものを目指しているのであれば、その綺麗さが仇となってしまっている。整えられて暴走することを知らないこの作品は、読書する主体に常に客観性を与えて、そこから先、距離を詰めるということをさせない。だから、かゆみという感覚に陥ることなくすんなりと読了できるというわけだ。
 巧いのがダメ。ひでえひとことで〆。


 本稿は以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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