BFC4落選展感想 1-5

はじめに

「#BFC4落選展」のタグがつけられた作品にのみ感想をつけていきます。それ以外の作品はどのような存在であれ無視します。読まれたいと願うブンゲイファイターの心にのみ正対していきたいからです。
 本稿はその性質上、ふんだんにネタバレを含みます。ですので、まずは落選展作品の内容をよく読んでから目を通していただけるとうれしいです。それが作者の方々のためにもなると思いますので。




感想

げんなり「物語の在処、そこにある物語」

 短絡的に読むと性、生、喪失、闇について書いた作品ということになってしまい、この作品独自の味わいというものを説明することができない。
 作者の言葉に引きずられるのは解釈的によくないが、意図的に配置された空白が「伏字」として機能すると考えた場合、「倫理的に問題のある表現」「直接的に検索されることを避けるための表現」「前述の特性を利用したミスリード」などに使われやすいことから、意識的に散りばめられた性と近接する表現に読解が引きずられてしまう。
 が、そもそも伏字かどうか考えなくてもいやらしいなにかが隠されているように感じてしまうのがこの作品。それが厄介さと深みを含み、それと同時に限界を示してしまっている。つまり、この作品は「周囲の表現に引っ張られて空白のなかにある表現が脳内補完されていく現象」そのものを楽しむのが正しく、そこから先に踏み込んでも表面的な作品理解以上のものは得られないのでは、というおそれを抱いてしまう。
 伏字なしバージョンも見てみたい気がするが、ダメな方の意味で期待外れだったら嫌なので、これはこれ、それはそれという気持ちでいようと思います。題名にも「物語の在り処」とあるからね。私はそれが「空白」のなかにあって、それは「読者のもの」だと考えます。
 だからその物語を大切にするね。

灰都とおり「あなたたちの失くしたささやきについて」

 ささやきという人物について書いていくうちに、個が群体に取り込まれていくという現象が起こっていることが明かされる。それだけ見るとサイエンス・フィクションのように見えるが、個々のガジェットは現代にあるものとそう遠いものではない。なのでこれは現代人に対してあれこれと指摘をしているような小説のように読める。
 ただ、この作品は主人公がささやきの側に偏って書かれているし、テクノロジーを掘ろうとするそぶりもない。だからSF的な物語として読むと本筋を誤解してしまいそうだ。
 ささやきが煙草を吸っているシーンから物語はぐっと現実側に戻ってきて、一気にエモい方向にシフトしていく。

ささやきは笑ってた。ディストピアからの脱出をそそのかすヒロインみたいに。

灰都とおり「あなたたちの失くしたささやきについて」

 これは比喩の形をしているけれど、主人公にとっては本当にそのまんまヒロインだったんじゃないかな。それに主人公の動きを見ている限り、どうも主人公も女の子っぽい。つまり百合。
 なるほどね。これは百合掌編だったってワケ。曲解な気がしてます。
 そこで物語が閉じてそれっきりになる。物語が一気にセカイ系的狭さの中に落ちたな。主人公とささやきの繋がり方、そして題名に示された「あなたたち」との対比。独占欲。
 私はこれ以上彼女たちの間には踏み込まずにそっとしておこうと決めた。百合の間に男を挟むなという格言はまだ生きている。

赤木青緑「蒼空耳」

 イグか? 初見、そう思った。文章構造がわざとらしくイグっぽいからイグナまで口に出しそうになったよ。純粋に文章構造が素直じゃなくて読みづらく、そのせいでイグ味が出ているという。冗談じゃねえ……。
 やや多めのオノマトペ、不条理なのか現実なのかどちらに所属しているのかはっきりしない表現。あきらかに狙ってやってそうなリアルゴールド。私、リアルゴールド好きよ。だからたまにはお墓に供えてくりゃれ。
 物語は過去に死んだ子供を軸にして展開され、それに対する悔恨であったり希望であったりということを話しながら、最後に現実の赤子の動作によって明るい方向に舵を切って終わらせようとした感がある。「蒼空耳」という単語からして非常にわざとらしくナンセンスで、最初はどういう意味を持たせるつもりなのかと見守っていたけど、作中での扱われ方を見て、ただの化学調味料じゃん! となってしまった。
 不思議な読み味の作品だけど、一度読んだら二度目はなくていいかな。話の内容がふわふわしているし、たとえしっかりしていたとしても筋がありきたりかなという気がしてくる。文章もひねっているというかはひねくれている、それも単純に読みづらい方向にねじれているだけで、単に変なものが書いてあるなという印象だった。だからブンゲイ的に評価しろって言われてもキツイかな。

只鳴どれみ「ぬ朝」

 イグか? 題名見た瞬間に嫌な予感がしたが二連続でイグですか。養殖タイプのイグという気がした。
 まず最初の時点で汚いものを描写し、その描写をする文章自体もひねくれた構造にしている。文章本体を捻じ曲げることで無理やり妙味を与えようとする。わざとらしすぎるかな……。繰り返しの過剰もなんらかの効果を狙っている感じがするが、独自性よりも見た目の奇抜さを優先した安直な態度に見えてしまっている。
 話的にも、ただ散歩をしてそのあたりにあったものについて私見を述べていくにとどまっていて、なにか突き詰めて書きたいテーマがあるというわけでもなさそうだった。
 と、このように、この作品は文章で相当なお遊びをしているのが主で、作品は従だ。どういう文芸作品ですかといわれると、言葉遊びに溺れてしまった散文です、という印象しか持てなかった。作中に登場するモチーフも卑近な例から拾ってきた感じが否めず、深く読み込もうとする行為をいっそ拒んでいるんじゃないかなという気までした。そこまでくるとさすがに真剣にお相手できないので、この話はここでおしまいなんだ。

Takeman(貞久萬)「デュオ」

 非常にストレートな復讐と自己回復の物語だ。
 題材はボクシングで、相手の名前はディック。ふたりはかつて刑務所のなかにいた。主人公と対戦相手の間には明確な上下関係があり、主人公はそれに屈辱をおぼえていた。主人公はリングのなかでも暴力にさらされて劣勢に立つが、過去を利用して相手を動揺させ、ついに勝利を掴み取る。
 ログラインはきれいだが、掌編として読むと文章表現に物足りなさを感じた。主人公の独白や過去の物語など、読者に必要な情報は逐次提供されるし、主人公の心情もはっきりと書かれている。なにかが足りないというより、客観性が強すぎるのだ。読解がやさしい分、他人を刺すために特化された部分が存在していない。暴力の刃は心情描写というクッションで威力が減衰し、その感情は状況描写というネットに阻まれてやさしく着地する。この作品はまだ研ぐ余地があり、その研ぎ方によってはより強く刺さる力を持つのだろうな、と夢想した。
 これだけ短い作品なのに「書きすぎている」という感想になってしまうのが掌編の怖いところ。しっかりコントロールされた文章で伝えたいことを明確にしているところがよかった分だけね。また別の角度から新必殺技で殴りに来てほしい。

※全然関係ないと思うんですが、去年の落選展もボクシングの掌編を読んだ気がする。なにしろ去年だからぜんぜん情報が出てこない。ただのデジャヴってやつなのかな……。

→「ボクシングの作品はなかった」とご指摘いただきました。完全に幻覚です。やだ……私の身体に何が起きているの。


 本稿は以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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