BFC4落選展感想 21 - 25

はじめに

 くりかえしとなります。
「#BFC4落選展」のタグがつけられた作品にのみ感想をつけていきます。それ以外の作品はどのような存在であれ無視します。読まれたいと願うブンゲイファイターの心にのみ正対していきたいからです。
 本稿はその性質上、ふんだんにネタバレを含みます。ですので、まずは落選展作品の内容をよく読んでから目を通していただけるとうれしいです。それが作者の方々のためにもなると思いますので。




夜世キリヲ「ガラクタ」

 一言にしてしまうと、ガラクタだった女を買ったら自分がガラクタになって売られる立場になるというお話。ひとをダメにするソファみたい。読んだあとに世にも奇妙なピアノ演奏が聞こえてきそうな作品だった。
 文章が読みやすく物語がすっと頭の中に染み込んでくるので本文を読んだ方がずっと正しく作品を読み解けると思う。他方で、作品の味が既存の作品に寄り添ってしまうくらいは「ある」と思える話だという点がもったいないところだ。技術のあるひとがよくある話を書くとしっかりとした読み物になるというのは希望ではあるけれど、競合作品がいると考えた場合にはマイナスに働いてしまう。メタ的に不利なのって哀しいね。

酒匂晴比古「epitaph」

 ループもののSFと読めるがどうして同じ一日を繰り返しているのかは判然としない。むしろ描写は風景や人の動きに固執しており、永久に繰り返される悲劇的な一日を描いた幻想小説として紹介した方がしっくりくるかな。
 この作品の複雑さはループを繰り返している本人(AI)をさらに外側から三人称で書いている点にあり、観測者が誰なのかはさっぱりわからない。管理者だろうけど、繰り返している数は相当なもんだ。ループ自体が人間の体験できる実時間とほぼ同じ速度で起こっているなら凄まじい長さじゃぞ。こんなことを無限に処理し続ける羽目になっている空間があったとしたら相当なディストピアだ。
 読後感は破滅的で懐古的。なんだけど、大きすぎる数をみせられたのですこし興が殺がれたかな。ある少女の一日を繰り返しシミュレートし続けるAIのお話、と紹介してしまうと身も蓋もない形になってしまうし、語りの構造を考えると今度は不明な部分が多くて考察が捗らない。話のスケールに対して語りが追いついていないのかな。だからSF的ガジェットにはあまり拘泥しないのが読書感を阻害しないやり方という気がした。

通天閣盛男「ぐのしえんぬ」

 最初の一ページで作品の概要を説明し、そのあとは一気に不条理で不思議な言語空間に誘われる。ただ、表現に品がないのが気になるところ。イグか? ここまでくると、なんとなく恐れていたイグの正体に気づきつつある自分がいる気がしますな。
 話の内容をなにかの物のたとえであろうかとか疑いながら読んでいくとラストの記述で肩透かしを受けてしまう。それをそのまま真に受けるというのも読者としてどうなんだという話がでるかもしれないが「ああこれはただのナンセンスな語りに関する物語なのね」と思わせられたらそこで終わりになっちゃうんだよな。うーん、他愛ない……そういう話として真正面から受けとめてしまった。

鞍馬アリス「月に痔のありたること」

 見た目よりイグ味はないけど実際に読んでいくと過去のBFC作品などと芸風が被るところもあり、悪い意味で既視感をおぼえる作品となってしまっている。アイディア先行型の作品を丁寧に作っていきましたというタイプだし、読み込めばきっとなにかしら手の込んだ仕掛けとかが出てくるかもしれない。ただ、字面の時点で胃が……。
 罪悪感を抱きつつ、あまり深いところまでは言及せずに行こうと思う。読者の限界を示すnot for meの言葉をここに添えさせていただく。似非古典研究史を楽しめるかどうかで資質を問われるのか……。

いんすら「沼犬」

※考えてたら長くなりました。
 主人公が「彼女の目」をめぐって謎の部屋で謎の生物に見つめられながら謎の人物と会話して謎される話。もうマジで謎多すぎて今日はここまでが限界だなって思いました。「彼女」として定義される存在が誰なのかすらわからない。
 ただ「彼女」の選択肢はそれほど多くない。①第一の「わたし」②第二の「わたし」(目を奪われた子供)③部屋の主④第三者(主人公の彼女とか友達)の四択くらいだろう。多分……。
 ④で主人公が友人(彼女)の目を取り返しにきたお話、だと早くて助かる。自分の目と「彼女」の目を取り替えっこして済まそうとする描写もあるし、安物のペティナイフしか買えなかったんだから経済的には貧しそう。解釈が楽だけどその場から逃げないことの意味がわからん、という点に目をつむる必要があるのがネック。この作品は「逃げない」ことが最大の謎になってるんで、どの選択肢でも基本的に謎なんだけどね。
 ③はどうだろう。部屋の主の描写がまるでされていないことから、それが「彼女」だということは考えられる。口調が男性風に寄せられているが、そういうトリックかもしれない。主人公は目を壁から取り外してからも部屋に留まり続けている。部屋の主に用があるのだ。何度も繰り返される「ラブリーな目」という表現からして、部屋の主に心を惹かれているのだ、という選択肢はなくもない。
 でも、そうするとなんで子供が目を奪われたという描写をしなきゃいけないのかという謎が増えちまう。題名として使われている「沼犬」の存在意義も問われてしまう。となると③は消えるな。
 ①の場合、さっさと帰ればいい。しかし帰らない。まあ物理的にジップロックで隔離されてる目を持って帰ってどうすんだってのもあるけど、主人公は部屋の主に自分の目と「彼女」の目を取り替えっこしようとするような記述がある。(目の位置を動かした罰かもしれんけど)①と②が同一人物の場合は片目が残っているので物々交換としては……ないよりのあり。だが部屋の主が「見合わない」と判断している。となるとやはり「わたし」と「彼女」が同一人物であると考えるのは無理がある。左右の目に価値の違いがあるなら別だが、そもそも自分の目と目を交換してどうすんだって話だ。①はダメ!
 ②が残った。これもさっさと持ち帰ればいい気がするのだが、なぜかそうではなく、その場にとどまっている。幻想的な飛躍をするけど、正しい手順で持ち主へ返そうとしているのではないか、という気がする。そうなると片目を奪われた子供がいて、その目をちゃんと元の位置に戻すために沼犬(あるいはその飼い主的なやつ)の部屋にやってきた。そして自らの身体の一部を差し出して「彼女の目」を元の場所へ返してやるという手順を踏もうとしているのではないか。そういうふうに考えられる。これだと②と④の選択肢は十分に生きたままにできる。どっちを選ぶかは読み手次第。私は④で百合路線がいい。ラブリーな目だぜ?
 世の中にはそういう読み手もいる。

 作品的には強調して「子供時代に片目を奪われたこと」が描写されているので、ストレートに読むと語り手自身が目を奪われたということになるけど、それだとなんか変だなーという感想になる。表面をなぞるだけでも相当難しかったのでキビシーでゴンスな。そして正しい答えなどわかりはしないのだ。対戦ありがとうございました。


 本稿は以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。


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