BFC4落選展感想 15 - 20

はじめに

 くりかえしとなります。
「#BFC4落選展」のタグがつけられた作品にのみ感想をつけていきます。それ以外の作品はどのような存在であれ無視します。読まれたいと願うブンゲイファイターの心にのみ正対していきたいからです。
 本稿はその性質上、ふんだんにネタバレを含みます。ですので、まずは落選展作品の内容をよく読んでから目を通していただけるとうれしいです。それが作者の方々のためにもなると思いますので。




生野カルミ「アウトサイド・カタルシス」

 イグから来たような作品。自らをアウトサイドと語るアーティストってのは、もはや安っぽい芸術家の代表みたいな感じがする。自分が主流芸術の外にあると自分で言って回ってどうすんの。そういうところが滑稽さとして表に出ているのだろうな。
 表向きの題材のひどさと比べると主人公の恋愛感情は純粋。そうな気がする。とはいえ、通読して受ける印象はやっぱりチープかな。アートとはなにかについてはさらっと殴ってさらっと通りすぎていくだけで、本筋は恋愛小説なのだもの。そうなると主題については単に横道にそれているだけに見えるし、アウトサイド・カタルシスに対する主人公のふわふわな態度はそのまま作品全体をふわふわさせてしまうことにつながっている。それが目的なのかもしれないが、真に迫ってくるところはない。

冬寂ましろ「ねえ、聴いて。」

 本当に歌うように話してる。ただ、芸風としては語りかけ系の小説となり、こういうのって若い頃によく書いたしよく読んだという印象を受ける。懐かしいと共に、おや、と思った。アプローチのやり方に既視感。奇しくも某コンテスト繋がりでな……。
 非常にやさしい作品でやりたいことも明白。読んでいてそれほど引っかかる部分もなくするりと読める。ただ、助詞の使い方など気になる部分がなくもない。繰り返し読むとしたら次第にその部分が気になるようになっていくだろうな。また具体性よりも抽象性の高い物語なので、ビジョンで魅せる作品ではなく心でなにかを感じ取れという方向だ。だからどうしてもエモーショナルな芸風を取る他の作品と競合する。
 また雰囲気的で一点突破しようとする方向性にも読める為、物語的な背景はかなり脳内補完を強いられる。私みたいなおじさん読者には、実は結構負荷のかかるタイプの作品なのだ。だから若い感性の持ち主に読まれていってほしいかな。その方が真価が理解できるだろうからさ。

鮭さん「泳いだトイレットペーパー」

 いまさら気づいたけど貴様オケラのひとかよ!!!
 失礼しました。不適切な発言があったことをここにお詫びいたします。

 いやこれ思わず応援するボタン押すわ。こっちをイグに出してちょうだい。不条理系小説は当たり外れが激しいが、これは見事に当たってる。私には以下の部分がクリティカルヒットした。

トイレットペーパーの芯は、アイデンティティクライシスに陥っていたのでした。そこに、背骨(人間の芯)が泳いできました。

「人間の芯さんこんにちは。」

「こんにちは。」

「どうして泳いでいるのかな?」

「ほねほね。」

泳いだトイレットペーパー

 なんでさっきまで普通に挨拶できてたのに急にできなくなるんだよ! おふざけもここまでくるとセンスだな。意識的にコントロールされているんだと思うが、この領域は人事を尽くして天命を待つに達してる。なにげに背骨についてる補足も芸術点が高い。客観的に見るということを放棄させられる引力か……。やりたくなったら参考にさせてもらおう。
 隠し刃を研いでる奴はときどき思いもよらぬ作品を読ませてくれる。これだから落選展を読むのがやめられない。

中務 滝盛「八年間」

 感傷的な作品で、掌編小説と現代詩の中間地点をいったりきたりするような空気を感じた。まるで大人になるかのような物言いで作品が進み、そして二つの最終回を通じて終わっていく、ように見せかけて終わらない。そうした半端さも含めて道の途中にある作品なのだな。そう考えると心象風景のスケッチとして読める。ただし完結して引き締まった感じという印象ではなく、どこか若書き感があるので、通り過ぎていく八年間に対する態度としてはやや軽いという感想を抱く。
 しかし高校時代から八年って、どっかで留年してるか一浪してるかとか、そういうことを考えてしまった。我ながら気が逸れるポイントがひどいな。
 強く心に残る感じではないが、紙数的に余裕を残していることも考えるとまだまだやれる余地がたくさんあるということでもある。そのあたりに希望があるということにしておこうか。

枚方天「ホロホロチョウの夜」

 こんなんどう読めばいいんだよ、と思ったが、現代社会は時々親切で、補助線を引いてくれるひとがいた。なるほど、読書体験によって発生する記憶や認識の混濁、あるいは他人から与えられた情報によってそういったパーソナルな認識が破壊される瞬間が描かれていると読めばいいわけね。それにしては現実に起こる変化が幻想的で、やや不条理な展開に読める。とはいえ、現実の脅威が消えて安心するさまなど、細かい描写は現実寄りでリアリティがある。だからこそ読書によって発生した幻想のシーンの異物感が半端ではないんだろう。
 この作品からは色々な「何故」を感じるのだが、周回すればするほど謎は深まるばかりだ。なぜタイガースなんだ……それともそれは生態系の頂点付近にいる捕食者のイメージがそうさせるのか……。

 横道逸れ太郎になるが、本作は助詞の使い方が気になる。単純ミスなのか意図的なものなのかはわからないが、どんな種類の作品であれ言葉遣いで早期に躓いてしまうと読解に集中できなくなる。私も投稿作で盛大に「をを」とか書いてしまって普通にだめだわこれと思ったが、皆さんもそういうくだらないところで読書体験を破壊しないようにお気をつけて。


 本稿は以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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