イグナイトファングマンのあとしまつ

はじめに

 イグナイトファングマンが皆さんに大変なご迷惑をおかけいたしました。不愉快な思いをなさった方も多かったと思います。それでも耐えてくださったみなさんに感謝の言葉を。ありがとうございました。
 そしてゴミはゴミ箱へ。誰かがそう教えてくれた。というわけで着ぐるみのなかのひとがちゃんとイグって終わりにします。どういうイグかって? イグナイトファングマンの解説だよ!

全作感想という大前提

 読んでただ投票するみたいな関わり方はしたくなかった。数字そのものは客観的な評価軸として機能することもあるが、それには属性が必要だ。こういう人気投票じみたイベントでは特に数字の水物感が強い。だから明日使える情報を提供するには読書感想文およびそれを通じた嗜好の表明、そして投票はセットでおこなわれないと意味を為さない。成否はともかく、理屈を考えたらまず自分から実践していくべきだ。
 よって基本方針としては他人の作品はすべて読むしなんらかのコメントを残すということにした。これについては以前のBFC3落選展に比べると規模が小さいので、できるのはそもそも大前提だなという気持ちでいた。なかなかおまえも暇だな。
 ただ、今回のイベントは投票が始まる前から非常に破廉恥な雰囲気が漂っていたので、徒手空拳で挑むのはいささか心もとないものがあった。
 こんなときは歴史に学ぶ。目には目を。歯には歯を。イグにはイグを。ハンムラビもそう言っていた。
 というわけで、感想文にわざとらしいイグ味を添加して叩きつけるということに決定した。この時点で歯車は狂っていたのだ。

元ネタ選定

 まず「イグ」という名前のついているものは必須だと思っていた。イグBFCはナンセンスなギャグを受容する風潮があった。そこで往年のイグナイト・ファングの出番である。これにマンをつけてイグナイトファングマンが誕生した。
 これだけだとただの阿呆の範囲を出ないので、次に芸風を定めることにした。我々がやろうとしているのは文芸という芸術。というわけでここは芸術の巨人、タローマンにご登場いただくことにした。よもやわからないというひとはいないと思うが、これほど説得力のある芸風も他にはない。

タローマンは、気軽な趣味のような「お遊び」を許さない。

[TAROMAN] 岡本太郎式特撮活劇「真剣に、命がけで遊べ」後編 | feat.疾走する眼 | NHK

 ここで終わると説得力があるだけでイグれていない。だからついでに謙虚ライオン(パロディしてる人の方)の勢いを添加。ただの心構えじゃん。
 だがこれによりイグナイト・ファング+タローマン+謙虚ライオン=イグナイトファングマンという三段構えのわざとらしいイグができあがったのは確かだ。

イグナイトファングとイグの関係

 イグナイトファングする対象は読書している間にだんだんと変わっていった。これに関しては完全に失敗であると共に、それだけ自分のなかの「イグ観」がふにゃっふにゃだったことを知れてよかった。

 初期時点におけるイグナイトファングの対象は「わざとらしさ」だった。つまり環境に対するメタを意図的に(かつ安易に)突いている作品がそれにあたる。芸術は作為の極致でもあるので、研ぎ澄まされたイグならば「わざとらしさ」を感じさせずに「奇妙さ」だけを残すように作られるはずだった。だからイグナイトファングしてれば正しい方法で判定しつづけることができ、選択についてもあまり失敗をしないという算段だった。
 だがそのセンサーは他人の評価によってたやすくねじまがった。オワコン化の始まりである。

 センサーが壊れてしまった結果「イグ」の対象は「既視感がある」「文芸する気がなさそう」「なんかムカついた」くらいまで広がった。もはや無法地帯だ。だから読み物としては終わってる状態だったと思う。それでもついてきてくれたひと、本当にありがとう。
 その一方、作品として純粋に読みたくない、というものに対処するにあたってこんなに便利な道具もなかった。発明ね。確かにそうかもしれない。で もそれは甘えだった。私は甘え続けてしまった。
 ファングある限りそれは続くだろう。だからイグナイトファングマンは死ななければならず、イグナイトファングする主体も私以外にならなければいけなかったのだ。


このすばらしいイグBFCに祝福を!

 ここまでつきあってくれてありがとう。
 あなたによき文芸の光が訪れますように。

 さよなら、イグナイトファング! 120点!

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