鳥よあなたのもとへ 落選展4・碑文

「きみの作品はあたたかいね」
 私の作品を燃やしながら先生はいった。天切り缶のなかから黒いかけらが舞いあがる。枯れた手のひらはいつ発火してもおかしくない。火が消えるのも近いだろう。ほんの百枚程度の印刷用紙をながめつづけた。時間なんてわからない。それに意味はないと思った。
 こんなとき、星座のことをよく知っておけばよかったと感じる。あの空に輝く一等星の、それが為す星座とその物語について知悉しておけばよかった。彼の豊饒な人生と張り合うには、私の過ごしてきたときはあまりにも短かすぎる。
「きみはこれからもたくさんの本を読むんだよ」
 講義をするように先生はつづけた。
「好き嫌いをしてはいけない。どんな本でも、それが本の形をしているかぎりは読んでいくんだ。そうやって作家は強くなっていく。他人の世界と戦うためには他人の世界を知らなくてはならない。そうしてからようやく、自分の世界というものをどうやって書けばいいのかわかっていくのだから」
 その台詞がどこから引用されたものかわかる。私の手元には先生の著作があった。上等なハードカバーでおおわれた文学論の、その始まりのところに書いてある。それはとても月並みで、すぐれた文学者なら誰がいっても説得力を持ちそうだ。先生はその多分から漏れることを知らない。そうした無知を常に持ち歩き、人々に当たり前の文学というものを教えつづけてきた。私にも、そうだった。そういう意味ではとても公正だった。
「ええ。読んでいこうと思います。これからずっと。先生が死んでからもそうしていきたいです」
「いい子だね」
「さあ、どうでしょう?」
 私は手元にあった本を火種のうえにおとす。開きながらおちていくその姿はまるで鳥のようだった。これから丸焼きにされることを知っているのに、翼が傷ついているがためにもがいても逃れることはできない。運命を悟ったそれは着地と同時に抵抗をやめた。
 紙に火がつくときは静かだ。どこか遠くでため息のように長くふくろうが鳴いた。
「先生の本もあたたかいです。これって、その本に愛があるからなんですか?」
 よく燃える。ハードカバーは火持ちがいい。権威を手に入れるとそれだけ長命になるのだ。
「そうだね。あらゆる本に愛情が詰まっているなら、それはとても素晴らしいことかもしれない。だけど本を作ろうとすれば誰でも作れる。そういう時代になったじゃないか。だからこのあたたかさは、僕の本に愛があるわけじゃないさ。あたたかいと感じるのは誰か。考えてごらんよ」
 炎をまとう先生の作品は、力強く煙をあげた。いくら燃えてもそこに書かれた内容が消えるわけではない。不死の鳥だ。灰になってなお人の心をはなさず、他人の空で羽ばたきつづける。
「あたたかいね」と先生がいった。
「あたたかいですね」と私もいった。
 ふたりの作品が消え果てるまで夜はつづく。それがいつまでもつづけばいいと願う。願いとは手に入らない現実のことだ。ゆめまぼろしのように、いくら追ってもその実物を掴むことはできない。ほんのわずかなその距離を私は詰められなかった。先生の手はずっと缶のうえを漂っていた。

 夢想した夜を終えて数週間後、先生は亡くなった。おおくの生徒たちが弔問に現れる。名前の多さを見て、あらためて先生の手を掴んでおきたかったと後悔する。その一方で、どこかそうしなくてよかったとも思っていた。
 先生の著作を棺にいれようという提案があったが、却下された。愛読書についても同じだった。どれも立派な本の形をしていて、それらは火葬したあとに燃え残ってしまうのだという。確かにな、と私は夜の長さを想い嘆息した。文芸をやってきた多くの生徒たちが同じことをした。
 だから寄せ書きをすることになった。磨き抜かれた言葉たちが並んでいく。凡庸な感想が瞳からこぼれおちる。
「これも、いいですか?」
 私はこっそりと家族の方に声をかけた。便箋をひとつ。断られなかった。棺は閉じられ、市の火葬場で燃やされた。
 残された骨の説明を聞きながら、私は両手を目の前で組んだ。それを咎めるものはいない。宗派や流儀の違いにとやかくいう無作法者なら、先生のもとで学ぶことなどなにもないのだから。だから私は存分にその行為に耽ることができた。
 先生。あの世でもどうか、私の作品を燃やしてください。その最初の一通を送りました。そのうち、もっと上等な本を燃やして届けます。そして、その作品があなたにあたたかいと感じてもらえるよう願っています。
 だから私は、これからもずっと文芸をつづけるのです。

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