BFC4落選展感想 26 - 30

はじめに

 くりかえしとなります。
「#BFC4落選展」のタグがつけられた作品にのみ感想をつけていきます。それ以外の作品はどのような存在であれ無視します。読まれたいと願うブンゲイファイターの心にのみ正対していきたいからです。
 本稿はその性質上、ふんだんにネタバレを含みます。ですので、まずは落選展作品の内容をよく読んでから目を通していただけるとうれしいです。それが作者の方々のためにもなると思いますので。




鵜川 龍史「あの子の猫舌」

 まるで日常系のような導入から始まるサイバーパンク味変恋愛小説。題名からして恋愛小説をしているのだが、そこで物足りなさを感じさせる要素が味覚調整描写の量と方向性で、SFしようとしている分だけ恋愛から離れていっている。
 舌とその周辺の感覚を変更することで起きる現象をユーモア混じりに描いていく様はおもしろいのだが、それによって「気になるあの子」に迫っていく部分があっさり味になっている。舌バカにはこういう細かい機微は分かりづらい。中枢UXがSFにあるのか恋愛にあるのかというと恋愛にあると思い込んでるからこのように感じるのかもしれないな。
 蛇足。ミヨヨがミヨーの愛称なのね。不思議。

茜あゆむ「探偵(および真実)の不在」

 ミステリのような顔をしているが、どこかアンチ・ミステリの香りがする作品でもあり、叙述というものの持つ性質を使ったお遊びというふうにも読める。多面的に読めるというのはいいことだが、この作品は「探偵(および真実)」が不在と最初から宣言されていることもあり、読解(正解)をしょっぱなから読者に委ねる気が全開になっている。
 正味なところ「おまえ自身の手で真実を見つけろ!」と作品にいわれてしまっている気がして、読むのがつらかった。二周してもどうすればいいのかわからなかったし、私はその器にないんだろう。
 私は作品そのものに明確な真実を持たせていない曖昧な文芸を嫌う。たとえそれがあるのだとしても、ないという顔をしているだけでひとを跳ねのける結界が機能する。
 not for meだ。これで三回目だぞ。前途多難だな。

田中目八「俳句連作『over the rainbow』」

 実にわかりやすい俳句で助かる。死ぬ主人公が過去を振り返り、その情景が刻々と描写されていく。旧字体で読みづらいというのが非常に気になるが、それが古臭いヤンキーの姿を示しているってことだろう。それにしても晩夏光好きね。
 単純に文芸作品として死ぬ瞬間を、みたいなのを凝って書いても仕方ないというのは確かにそう。そこで俳句の連作集にしていくわけか。
 ただ、連作をするということはそれだけひとつひとつの句の意義が薄まっていくということでもある。物理実体を持たない形で字をみせていくわけだから、そこには余白の持つ力というものがこもっていない。その場で声に出して読み聞かせるということができないこともあり、全体の印象ははっきりしているが個々のフレーズでまさにこれというものが残らなかった。こういうことがあるので、私は俳句とか短歌というものは見た目以上に難しい文芸だと感じている。作るのも、それを解釈するのも。

岸波 龍「夏目漱石『夢十夜』小論」

 小論とかいう難しい話はよせよ。といっても、これも文芸なので拒絶するようなことをしてはいけない。夏目漱石の「夢十夜」に関する小論。私は夢十夜を読んだことがない(か読んだけど忘れている)のでその前提で話を進める。
 夢の中で流れている時間と起きているときに流れている時間には不一致があって、夢について考えることと時間を考えることは同じことなのではないかといっている。そして時間について考えるために夢を分析するには、夢側からアプローチをかけないといけないという。しかし(普通の)人間は夢の中で自由な思考をすることはできない。だから夢について書いてある小説に頼ろう、というのが本論の要旨ということになる。まあこの時点で文芸的飛躍をしているよな、と思う。小説は現実だ。そこに夢が書いてあるにしろ。
 とはいえ、小説を夢と信じて時間について探求していくという姿勢は人間的でよいと思った。だがこの話については夢に可能性があるのではなく言語に可能性があるという風にした方が正しい気がする。この論の言う通りなら「夢十夜」は夢を言語化してこの世に生み出そうとしている作品ということになるのだから、夢や現実といった無秩序なものは言語(言葉)というものを使ってこそ秩序立てられるのではなかろうか。
「時間と自由」をもう一度頭から読み直そうかな。そう思った。

佐藤相平「康子の憂鬱」

 いわゆるケアをテーマにした不条理な小説。ミステリの味もするが、それは本題ではない。老人という面倒はひとりでに増え、自分の手では死ぬこともままならない。彼は本当は死にたいのだが、その死は自分で自分に与えるものではなく、他人に与えられるものではならないと考えていたようだ。
 この作品でよかったと思ったポイントはラストの一行で、老人の介錯を貫徹しているところにある。また「優しく」という表現は両面から読むことができ「可能な限りじっくり殺す」か「愛情によって殺している」かのどちらか好きな方を読者が選ぶことができるし、いずれにせよ老人の死に加担していることに変わりはないのでログラインも真っすぐのままだ。もしこれにケチをつけるならば、この「優しく」を際立たせるためにはもっと客観に徹すべきだというところだが、こういう指摘は無粋というものだろう。私はこの一行からアフェクトを受けたのだから。


 本稿は以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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