BFC5落選展劣悪感想紀行 やり直し編 4-6

※本記事は、私の感想によって傷ついた作者をもう一度、より丁寧に傷つける可能性があります。もう見たくないという方はただちにブラウザバックしてください。また、本稿は対象読者を「私の感想の読者」という極めて限定的な方々に絞っております。そのため過去の感想文を読んでいることを前提とした書き方になっていることをあらかじめご了承ください。


やり直し編一覧

本文の趣旨

 落選展への感想の書き直しを行います。詳しくはBFC5落選展劣悪感想紀行 やり直し編 1-3をご覧ください。
 ただし、本稿には感想を書かれることを拒否している方の作品が含まれます(Xにおいて私のアカウントをブロックしていることをその条件として定義しております)。そのため、該当する作品につきましては番号のみを振り欠番とさせていただきます。

 私は転んで死ぬ。なににつまづくかは神のみぞ知る。


4.「合掌」野本泰地

 この作品は読み手を翻弄するような大きい場面転換が二度、行われる。最初に読んでいた文章は主人公と思わしき人物の祖父が書いたメモであり、そこから端を発する祖父の葬式の物語は、最終的には十五年後の主人公が魚をさばくことに関するやり取りから思い出した物事だったと示される。どちらも刺激的だが、やや面食らうところもある。
 人称の誤解を誘うような書き方もある。最初のメモもそうだが、相田という苗字が出てくるまではほとんど一人称のような書き方をされている。読者がそう誤解するよう、意図的にそう書かれている気がした。
 美味しんぼの話が出てくると物語が一気に等身大のものになる。最初は昔話のように見えるし、美味しんぼ自体もそれほど新しい作品ではないが、あまりにも有名なので親しみを感じる。そこに他人のメモが挟まっているというのもリアリティを出している。謎のメモが古本に挟まれている事象とはちょくちょく出くわしているので。
 美味しんぼの印象が強すぎてそちらに意識が持っていかれすぎているきらいがあり、それが私の読書能力を著しく下げている原因にもなっているので善し悪しあるところではある。本作では美味しんぼという単語が合計で九回も登場する。この文字数で九回も接触するとそのことばかりが記憶に残ってしまうのも現象的に仕方がない。
 この作品は自分にとって難しかった。何度か読んで「祖父を慕っていた主人公が、料理を作られてばかりだった自分から料理を作る自分になろうとする、そのきっかけとなる一瞬に繋がる過去を描いた物語」あたりに着地させることしかできない。そしてこれも正しいかどうか自信がないありさまだ。
 そしてもうひとつ自信がない読み方がある。「これは相田と深沢の百合小説でもある」というものだ。根拠があいまいなのだが「相田と深沢のやり取りがどうも男子っぽくない」「主人公が男だとするとラストシーンでパートナーという表現をするのが変」「パートナーの話し方が男っぽくない」あたりが怪しい。まあ男は男らしく話しているという前時代的な偏見によるのだけど。でもこの読み方ならラストシーンとそこまでに書かれている内容とで整合性が取れる。「相田は深沢の言葉に反発しがちである」のと「ラストシーンは強い反発で魚を捌けるようにしたいと決心しているように見える」のが「これが相田と深沢の関係性を描いている物語で、気づく人間だけが気づくひっそりと咲く百合」だとしたら。これはなかなか美しい気がする。
 何度も読まなきゃこんな読み方しなかっただろうと思う。この読み方が正しいかどうかは別として、こういう書き方もあるということは心に刻んでおこうと思った。いずれ使える。
 致命的な誤読であったときは、笑って済ませてもらえないものか。


5.「チクビルハーン」枚方天

 何度読んでも最後にずっこけさせられる迷作という空気が漂っている。とってつけたような前書きも含めて、本作はユーモアを基盤にして書かれているのだという主張を見ている気持ちになった。
 筋をもう一度なぞっておくと、ヤポンという国に訪れた観光客たちが「怒ったり怒られたら死刑」というなかなかの極限状況の中で、絶対に怒ってはいけないヤポン島24時みたいなことをする。つまりイライラしたり怒ったりするようなことが頻発するのだ。「怒ったり怒られたら死刑」という法律の威力は絶大で、その直後に流れる空気は非常に緊迫している。
 しかしそうした緊張も長くは続かない。相手には日本語が通じないのだから、怒っていることさえ悟られなければOKという流れになる。いやそれは危険だろと思うが、登場人物たちはそうはならなかった。やがて怒りは舌打ちで表現しましょうとなり、舌打ちができないひとは「チッ」と発声するという妙なことまで始まる。一度始まった悪ふざけは留まるところを知らず、最終的には多種多様な舌打ちが混ざって「チクビルハーン」になるという寸法だ。おそらくだが、この「チクビルハーン」がヤポンにおける怒りの表現なのだと思われる。だから制服をきた人たちが来た。つまりこれからみんな死ぬ。
 できる限りフラットになって読もうと努力したが、この作品と対峙するとどうしても力が抜けてしまう。やはり「そうはならんやろ」という、創作物ならではの飛躍の力がそうさせるのだと思う。「怒ったり怒られたら死刑」というデスゲームみたいな状況に放り込まれた状態で、本当にこんなふざけたやり取りができるのだろうか……? というめちゃくちゃ野暮な感情がどうしても払拭できなかった。
 ただ、本作はデスゲームものと違って「死傷者ゼロの状態からオチに突っ込む」ので「死刑と言われた当初は気にしていたけど、慣れてきたらやっぱり現実感がないのでチキンレースを始めるくらい余裕になってしまった」というふうに考えることもできるし、「言葉が通じなきゃなに言っても大丈夫だろう」という油断が突然の死を招くと言う教訓物語的な側面がなくもない。あるいは、人は怒りに飲み込まれるとそれを吐き出したくて仕方がなくなり、ついには死への恐怖よりも怒りを発散したいという欲が勝る、ということなのだろうか。
 真面目になろうとしても、やっぱりチクビルハーンの字面で脱力し、ちょっと乾いた笑いが出そうで出ない。そんな微妙な位置を反復横跳びさせられる作品。ラストの(了)も、何度も読むとこれはこれで味わい深いという気がしてきた。余白が完全に息をしてないからすごく野暮な一文だと考えていたが、ラストの余韻を叩き切って強制終了させるという観点ではかなり強烈な手法でもある。
 自分もギャグ系統の作品で「おわり」とか書いてそれなりの効果を狙ったりしているのだから、安易に(了)が野暮とか言うのは誤りだった。こういうことに気づきもせず終わっていたかと思うと肌寒くなる。
 なんというか、再読して感想を書くことが許されていてよかったと思います。


6.

 前述の事情により感想はありません。


 今回はここまで。
 次回、BFC5落選展劣悪感想紀行『やり直し編 7-9』
 読まなければなにもわからない。

 以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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