見出し画像

久しぶりに「めくらやなぎ」を読んだ

 なんとなく村上春樹さんの本を読みたくなって、『レキシントンの幽霊』に収録されとる「めくらやなぎと、眠る女」を読んだ。本編の前にイントロダクションがあって、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』に入っとる「めくらやなぎと眠る女」から四割ぐらいも文章量を減らして改訂したらしい。そんなに減らしたらもう別の作品になってまいそうで、読点がないほうを読んだのはもうだいぶ前やったけど、お気に入りの場面 (特に いとことバスに乗っとる時と 病院の食堂で待っとる時のモノローグは、カラーの映像が浮かぶだけじゃなくて音も聴こえるし、場所の匂いも漂ってくる錯覚と臨場感があってほんまに好き) ははっきり覚えとったから、あの空気がそのまま残っとって嬉しかった。読み比べてみたら面白そう。
 語り手の回想に出てきた「キョウチクトウ」てなんやろと思って調べてみたら「夾竹桃」で、日本には中国経由で渡ってきたインド原産の猛毒の花らしくて、よりにもよって病院の周りに猛毒の花が植えてあるってなんかおもろいなぁと思った (この「おもろい」は別に不謹慎な意味じゃなくて、「なんでこの花を選んだんかは本人に聞いてみな分からんけど、でもそういう花が植えてあることで『病院』ていう施設が持っとる『人がいっぱいおるのに無機質でちょっと薬臭いイメージ』が引き立つし、皮肉な感じがするなぁ」ていう感想が出てきて、純粋に「文字だけで書かれた場面に奥行きを持たせる記号の使い方」に感心する、表現のうまさに対する「おもろい」)。


 相変わらず「頭で考えとることを文字に起こすのはめちゃくちゃむずいな、映像はこんな簡単に浮かんでくるのになぁ」て思いながらこーゆーことを書いとるんやけど、だからこれで生計を立ててはる人はもうなんか、すごいとかを超えて、ただただ「ありがたい」。ほんまに美味しいご飯を食べた時に「美味しい」しか言えんくなるのとおんなじで、その「頭ん中ではうまいこと表現されとるけど外には出せへん感動」を無理やり言葉にするのがアホらしくなる。自分の中に大事にしまっときたいと思う。
 本の感想はどうやろ、書きたかったら書くとかでええんかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?