見出し画像

本屋の神様はほんまにおる、てゆう話

「おい、俺おるで」
呼ばれた気がした。


 町田康さんの『私の文学史』を、今日 本屋さんで衝動買いした。ほんでこの記事も、衝動的に書き始めた。

 ほんまは1週間も取り置きしてもらっとった 斜線堂有紀さんの小説を回収しに行くだけやったのに、いつも通り なんも考えんとふらっと入った新刊/話題書のコーナーの一角から放たれるモノクロのいかつい、、、、ぢからに、釘付けになった。最近ハマっとる『月姫』のリメイク版に「魅惑の魔眼」てのが出てきたけど、もしかしてあれがそうなんか。「これ絶対おもろいやつやん」ていう謎の確信があって――まぁ『くっすん大黒』とか『人間の屑』とか書いてはる人の自分語りがおもんないわけないねんけど――気づいたらレジにおって、本命の取り置き本を後から思い出したぐらい「よこれ読みたいわ!」てなった。俺には昔からそういうところがある。視線のピンポイント化?あるいは目からビーム?意識の排斥?不器用の極み?『氷菓』の千反田えるふうに言うなら「わたし、気になります!」やけど、とにかく、一瞬でもそうなったら、もうそれしか目に入らんくなって、他のことはどうでもよくなる。ほんで後から思い出す――この記事を書いとる今もそう。

 早足で本屋さんから出た俺は「バス停でずっとニヤニヤしとる奴」になった。しかもスマホ首ならぬ読書首で、それこそ映画の『E.T.』みたいな感じで。ただでさえ陰気を具現化したみたいなモサい男がバス停でそんな姿勢で本読みながらニヤニヤしとるとか、はたから見たらほんまにキモいけど、俺やったら絶対近寄らんけど、まぁ列の先頭やったし マスクもしとったし、なんとかバレんで済んだ。俺が高校ん時から一年中ずっとマスクしとる理由のひとつがこれ。マスクさまさまです。

 また脱線しました。

 とにかく、それぐらいおもろかった。や、まだ冒頭しか読んでないから過去形で書くんはおかしいんやけど。
 界隈でたまによく言われる、笑いすぎてバスとか電車で読むんは危険な本。それがこれ、『私の文学史』。
 最近はまったく本読む気になれんくて、映画もまったく観る気になれんくて、趣味やのにどっちも全然やる気にならんていう 地獄みたいな精神状態やったけど、今の俺に必要なんはこの本やったんやと。フィクションではなく現実に存在するおもろい人の話をひたすら聴き続けること。それでどう思ったとかは一旦ぜんぶ置いといて、とにかく、目でも耳でもいいから、家族でもなくパートのおばちゃんでもなく、もっと距離の離れた、こっちが一方的に知っとるだけの おもろい人の話に貪欲になること。しかもありがたいことに、町田さんの読書遍歴みたいな本があったらええのにな〜てのは前からおもとったし、このタイミングで偶然すれ違えてほんまによかった。

 あ、そう、書きながら気づいたけど、ぜんぶ関西弁で書かれとるんも大きいかもしれん。厳密に言うたら大阪弁になるんかな?よく分からんけど、自分も隣の県に住んどる関西人やから 親近感が湧くというか、なんか落ち着くというか。
 標準語で書かれた文章を読む時は「目から食べて、脳に直接送る」て感じに近くて、だからどうしても「ちょっと固い」感じがする (これは俺がまだ慣れてないだけで、決してディスっとるわけではない)んやけど、この本は 自分が普段喋っとる言葉で書かれとるから、嫌でも音声に変換される。「まず目に含んで、耳で噛み砕いてから、脳で消化/吸収する」。これを、身体が勝手にやってくれる。
 世界中のオカンが子どもに言う「よく噛んで食べなさい」てのは たぶんそういうことで (?)、あとは、いつもの料理にひと手間加えるだけでちょっと本格的になったり、運動した後に食べるご飯は特に美味しく感じたりするのもおんなじで、あえて工程を1個多く踏むことで、頭に入って来やすくなる。身体が喜ぶ。

 料理でまた思い出した。京極夏彦さんの「京極堂シリーズ」を読むときは毎回、仕入れから本調理までの工程に置き換えながら読んでいくんやけど、今回は関係ないから端折る。この話もそのうち書けたらいいな。

 森見登美彦さんは、ご自身の小説『夜は短し歩けよ乙女』の中で、黒髪の乙女を「古本市の神様」と引き合わせて 会話させることで、その非現実的な存在に説得力を持たしてみせた (もちろん原作の文章表現も素晴らしいけど、個人的には まず劇場アニメ版を観ることをおすすめしたい。このシーンはほんまにすごい)。
 俺は今回「新刊書店の神様」を視認したり 会話することはできんかったけど、「そこにいてはるな」て知覚することはできた。やっぱそういうことが現実にも起こるんやて、改めて思えた。
 そう、「いてはるな」て確信したのは今回が初めてじゃない。似たようなことはこれまで何回もあった。
 だから偶然じゃない。気のせいでもない。

 本屋の神様は、実在する。

 普段はこんなこと意識してへんけど、天災は忘れた頃にやって来るもんらしいし、じゃあ今回みたいな 青天の霹靂ていうか、神様からの祝福ていうか、それも、そういうもんでいい。そんなしょっちゅういらん。ネチネチした気持ち悪い神様より、改めて「おるんやで」て気付かされるほうがこっちも嬉しいし、ホッとする。そう思うことにする。

 ていうか、ちょっと待って?
 普段はうまいこと隠れとるくせに 気まぐれで急にビビらしてくる神様とか……。
 めっちゃ可愛いやん!


   *


町田 康『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』(NHK出版新書)

この記事が参加している募集

#買ってよかったもの

58,812件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?