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出逢い

神無月下旬。
此処は信州上田市から更に奥に二里(約八キロメートル)程先に進んだ先にある角間渓谷。
冬には吐く息が一瞬で凍る程厳しい寒さになる。
その急峻な山肌を滑るように駆け抜ける二つの影があった。
それにしても速い。
とても人とは思えない速さだ。
猿か。鹿か。


「離れろ。」

前の影の主の口は確かにそう動いた筈だ。
だが、声は発していなかった。
読唇術。
口の動きで、その相手が何を言おうとしているか察する忍びの術だ。
それに応えるように後ろの影の主が無言で頷き遥か頭上の木の上まで跳び上がった。
同時に前の影の主も反対方向の木の上まで跳び上がった。
間髪入れずに直ぐ近くの木の幹に矢が突き刺さった。

「ふう、危なかった。」
ようやく声変わりが終わったばかりの声で少年は、そう呟き額にうっすらと浮かんだ汗を拭った。

(しかし、一体何者なんだ。いきなり矢を放ってくるなんて。
地元の猟師がオレ達を動物と間違えたのか?)

少年は顎に手を当てながら考えた。
考え事をする時少年はいつもこうする。
それは幼少時に信州の山奥に住む甲賀流忍術の師匠、戸澤白雲斎に師事した頃からだ。

(だけど、オレ達二人とも怪我が無くて良かった。)
そして少年は胸を撫で下ろし十尺(約四メートル)先にいるもう1人を見やった。

少年の名は佐助、という。

(やっぱり佐助さんは,凄いな。一瞬で矢が飛んでくる事を察知するんだもの。
あたしなんてとうてい及ばない。)

少女はそう思いながらも、父、戸澤白雲斎の元で住み込みで数年に及ぶ厳しい修行を成し遂げてきた幼馴染を頼もしい目で見ていた。
少女は修行の合間に見せる佐助の何気ない仕草が好きだ。
それは例えばさっきみたいに手で汗を拭ったり、顎に手を当てながら考え事をしたりする事だ。

少女の名は、さくら、という。
佐助の視線に気づき、さくらも佐助の方を見た。
二人は目が合い破顔一笑した。
やがて二人は歩み寄り矢を放った人物の方に向かって歩いて行った。

二人が向かった先には身なりの整った温厚誠実そうな、何処かの城の殿様らしき人物が数人の家来を従えて立ってこちらを見ている。
年齢は、三十歳前後といったところか。

殿様は、「大変失礼いたした。あまりの速さ故家臣が鹿と間違えて矢を放ってしまった。
ご容赦願いたい。」
と言い、数人の家臣と共に頭を下げた。
「申し遅れたが、私は信州上田城主、真田昌幸が次男、源次郎信繁、と申す。
先程の其方達の身のこなし、誠に見事であった。
もし、仕える主君が決まっていないのなら是非、私の家臣になってもらえないだろうか?」

そう言うと信繁は、佐助の返事を待ち切れないように身を前に乗り出した。
そして佐助の隣にいる、さくらに向かい、
「其方は白雲斎殿の娘で名は、さくら、であろう。
白雲斎殿から度々文が届くのでな。
名は存じておる。」と声をかけた。

「真田、信繁様⁈」
あたしは、その御名を聞いて慌てて平服した。
お殿様と、あたしの父上は、お殿様が幼少の頃よりお付き合いがあり、幼い頃より大変賢く優しい若君だった、と拝聴していた。
そしてお父上は、こうも仰っていた。

「佐助を仕官させるのなら真田のお殿様が良いだろう。」と。
あたしも同じ考えだ。
佐助さんはどう思っているのだろう?
あたしは佐助さんの方をちらっと見た。

(あー、オレこんな偉い人と話した事ろくにないから何て話せばいいんだ?)
とりあえず頭を下げて自分の名を名乗った。
そしていつものように顎に手を当てながら、
「あの、お殿様、その件に関しましては、お師匠様に相談してみない事にはお返事できかねます。」
オレはそう答えた。

(うん、我ながら上出来だな。)
オレは自分で納得した。

信繁は軽く頷きながら、
「うむ、それもそうじゃな。二人とも相分かった。では早速白雲斎殿の元に参ろう。
まだ羊の刻(午後二時頃)故、申の刻(午後四時頃)には白雲斎殿の元に着けるだろう。
そう言いながら佐助達と共に歩き出した。

あたしは信じている。
佐助さんならきっとお殿様の期待に応えてくれるだろう、と。



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