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煙の匂い

 今でこそずいぶん少なくなったが、田舎では夕暮れになると決まったように、そこここで真白い煙が漂っていた。藁屑や籾殻などを燃やしてその日の野良仕事を終えるのだ。

 山の空気に混じった独特のその匂いは、まるで澪標の鐘ように家路へと誘う。

 近頃の山に漂うその臭いは、子供のころの記憶の匂いと違い、目はチカチカするし、嗅ぎたくもない臭いになった。ゴミの中にビニールやポリエチレンなどの袋や紐も混じっているに違いない。

 畑仕事を終え帰ってきた祖父は、手拭いで足元をパンパン!と払ってから井戸端で顔や手足をきれいに洗い、沈みゆく夕陽に向かって身を正し、ポン!ポン!と手をたたいて何やらぶつぶつ・・・毎日決まった儀式だった。
 が、この儀式は夕暮れだけのものではなかった。

 田舎の朝は早い。
 目が覚めると祖父は、井戸端で顔や手を洗い口を濯いで、腰にかけた手拭いを引っ張り出し、身を拭い終わると朝陽に向かって身を正し、ポン!ポン!と手をたたいて何やらぶつぶつ・・・。

 小さな私にはこの行為が理解できず、ある日、辛抱できなくなって祖父に聞いてみた。
「おじいちゃん、何してるん?」
不思議そうに覗き込んで聞く私に、祖父は笑いながら
「おてんとうさんにな〜ぁ、今日1日、無事に過ごせるよぉに、お願いしとるんやで〜ぇ」
「ふぅ〜ん・・・帰ってきたときは?」
「あれはな〜ぁ、おてんとうさんに、今日一日無事でおおけにと、お礼をゆうとるんやで〜ぇ」
 語尾をちょっと上げたこの地方独特の言い回しで教えてくれた。

 この歳になっても宗教を持たない私だが、それ以来、子供心にも「日の出日の入り」には、特別な感情が芽生えた。自然信仰とまではいかなくとも、太陽や風や雨に心打たれるようになったのはこの祖父のお陰だと、今は思える。 

 そう言えば、この祖父の父、私の曽祖父は、野良仕事をしながら畦道で俳句を詠んでいたと聞いたことがあった。〈霞を食っていた人〉と言われていたらしい。

***

2007年11月16日記

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