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レディー・ドラゴン セックスレスな妻たちへ

愛は金で量られる?!~レディー・ドラゴン⑱~


同窓会は十二月の三週目の土曜日。この日はたまたま璃宇の五十歳の誕生日だった。
その日はすぐにやってきた。
朝目覚めた時からおめでたい気分より、女としての寿命が縮んだ気がして嬉しくなかった。
すっぴんのまま鏡に顔を近づけると、目の下のくまやシミ、首の横皺に目が走り、絶望的な気持ちになる。
あああ、と大きなため息をつき、エアコンを入れた時、娘の奈々香から「誕生日おめでとう」のラインが届いた。
息子の翔馬は健太に会った夜、留守電を入れたら翌日電話がかかってきた。
ゼミとバイトに追われ、家に帰るのは年末になる、とのことだった。
息子が元気なのことに安心したが、健太のことは話せなかった。
彼らが未だに連絡を取り合っているのかわからないが、母親のホストクラブデビュー未遂の件は、息子に知られたくない。ずるいけど。ずるいけど隠したいのが女だ。
翔馬からおめでとうメールはなかった。毎年そうだ。
彼女の誕生日は覚えていても、息子は母親の誕生日を忘れる。
男は母親から無条件の愛を傲慢に受け取ることに慣れている。
母として息子に無条件の愛を与え、妻として夫に条件付きの愛になるのも、女だ。

夫は毎年璃宇の誕生日に花束をプレゼントしてくれる。
今年に限って璃宇の誕生日を忘れたのか、お昼になっても花束も届かない。
夫は昼ご飯のラーメンを食べた後、ソファーで新聞を読んでいる。
彼は今日、璃宇が同窓会に行くのも知っている。
夫も自分に興味がないのかもしれない、と思うと虚しくなった。
六時からの同窓会に合わせ、四時に家を出るつもりだったが、これ以上夫と家に居たくなくて、早めに出る事にした。

会場となるホテルの近くのデパートでウィンドウショッピングするから、二時に家を出る、と夫に伝えると
「あっ、俺も一緒に行こうかなぁ。ついでに本屋にも寄りたいし」
というので、璃宇は驚いた。断るのも変なので
「そう?なら一緒に行く?」
と言うしかなかった。

夫と一緒に歩くのは、久しぶりだった。
二人は手をつなぐわけでもなく、微妙な距離感を保ちながら肩を並べ歩く。
新婚当時は二人で腕を組んで歩き回ったのが楽しかったのに、今は歩幅も心も距離があることを、璃宇はさみしく思った。が、仕方ないと気持ちを切り替える。
「いつまでも過去に囚われては、前に進めない」
ホストクラブから走って逃げた翌日、薫子に電話でそう言われた。

「過去は、過去なの。
いつまでもそこに心を残していたら、前に進めないわよ。
もう五十歳よ!
女としても人間としても、だんだん後がなくなっていくの。
過去に囚われている時間はとっとと捨てて、前だけ見て進むのよ!」
薫子はあの日、健太=ケンヤと夜中まで楽しく騒いで飲んだそうだ。
健太は璃宇のことを
「せっかく来てくれたんだから、楽しく遊んでくれればよかったのに、気を遣わせて悪かったですね」
と言っていた、と薫子から聞いた。
ああ、どこまでも優しい健太君は変わっていない、と璃宇は胸が熱くなった。
そして本当に健太のことを考えるなら、彼の売り上げに協力しあのまま店で飲んだ方がよかったんだ、と冷静になった璃宇は思った。

そんなことを考え黙って夫と歩いていたら、目的地のデパートの前に着いていた。
「そうだ、今日はママの誕生日だろ?何でもすきなものを買ってあげるよ」
突然夫が言ったので驚いた。
そしてこれが花束の代わりのバースディープレゼントだと気づいた。サプライズにしたかった彼の気持ちが、素直にうれしかった。

土曜日のデパートは、カップルや女性達でいっぱいだった。
取りあえずエレベーターで四階に上がり、服を見て回わる。夫は黙って、璃宇の後ろをついてくる。
フロアにたくさん並ぶ色とりどりのニットやスカートやワンピース。今すぐ欲しい訳ではなく、目で追いかけ、そっと手でさわってみる。
女は自分のものでなくても、美しいものを見たり、触れるのが好きな生き物だ。
それを知らない夫は
「これ、いいんじゃないか?ママに似合いそうだよ」
と目についた服を璃宇に薦める。
けれど今の璃宇は、以前ダイエットして着ようと買ったワンピースもまだ着れる状態ではない。
「う~ん、服はいいわ!ダイエットが成功してから!」
と断った。
すると夫は八階のジュエリー売り場まで璃宇を連れて昇る。
少しでも触れると指紋がつきそうなショーウインドーの中に、つんと澄ましたダイヤモンドやルビー、サファイアなどの指輪が行儀よく並んでいた。
夫がごくり、と唾を飲み込み
「俺、会社を辞めるからしばらく何もプレゼントできなくなるから、すきなものを選びなよ」
と言った。
あきらかに無理をしているのがわかる。
値札を見ると、どれも七桁か七桁に近いものがほとんどだ。
これから先、どうなるかわからないのに、宝石など買う気にならない。
璃宇はふだんほとんどジュエリーをつけない。嫁入りの時、母親にもらったパールのネックレスと、夫が婚約指輪として贈られたダイヤモンドの指輪くらいだ。
正直に言うと使うことのない宝石より、未知の将来に向けて現金が欲しいところだ。
それに宝石は買った時からどんどん価値が下がり、売る時も安く買いたたかれることも知っていた。
でもそれを正直に夫に伝えるのも悪いし、困ったなと思った時、店の奥に目が向いた。金の売り場があった。璃宇は閃いた。

地金だと持っておけば、いつでもお金に換金できる。
夫は私に愛を与えようとしている。
お金と愛は同じエネルギーだ、とスピリチャルな本に書いてあった。
だったら、言葉通り夫の愛は金にして、喜んで受け取ればいいんだ、と思った璃宇は言った。
「ねぇ、あんまり色気はないけど、五十歳の記念に金を買ってもらってもいいかしら?」
夫は一瞬、大きく目を見開き、えっ、という顔をした。がすぐに
「そうだな、金だと何か会った時に換金できるしな。ママがそれでいいなら」
と、財布の中身を確認した。
その時璃宇は初めて、クレジットカードで金が買えないことを知った。
夫は璃宇に「ちょっと待ってて」と、近くのATMに現金を降ろしに行った。
こうして璃宇は五十歳の誕生日プレゼントだし、と夫に五十グラムのインゴットを買ってもらった。
璃宇はほんのり申し訳ないなぁ~と思ったけど、節目の誕生日プレゼントだからそれくらいいいよね、とかすかな罪悪感を振り切り、前だけ見て進むことにした。
さすがに金を持ったまま同窓会に行くのは危ないので、先に夫に持って帰ってもらうことにした。
「これから本屋に行くのは止めて、まっすぐ家に帰ってね。家に帰るまで、気をつけて!」と何度も念を押す。
そして
「あなた、本当にありがとう!」
と満面の笑顔を夫に向けた。
こんなに華やかな笑顔を夫に送ったのは、久しぶりだった。
デパートを出て夫を見送る璃宇は、自分は恐ろしい女だろうか、と自分に問いかけた。
だがすぐに、いや、女として当然よ、と心の中で言い切る。
「美開女伝説」というネットで見つけた小説で、女はしなやかに、したたかに、美しく生きよ、と書いていたことを思い出し、両手をそっと合わせ力強く握りしめた。
過去を手放した璃宇は潔く、前だけを見て歩く。
夫と別れた璃宇は心も足取りも軽く、目指す同窓会会場のホテルへと向かった。


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