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シリア-13- トルコ

写真 : イスタンブールにはシリアの取材で何度も訪れることになった

シリアに入るためのルートはいくつかあります。アサド政権の側から取材をするのであれば、シリア大使館からビザを取得する必要がありました。2012年7月、シリアではダマスカス、アレッポの二大都市で反体制派の一斉武装蜂起が発生し、観光という名目でのビザは停止されました。ただ、取材であれば、ビザの取得は可能でした。日本のメディアはこの方法で入国していました。

その他にもイラクのクルド人自治区からシリアにも入れました。これは、アサド政権と中立を保っているクルド人の支配地域に入国することになります。シリアは刻一刻と情勢が変化します。僕が4度目のシリアに取材に向かったのは2014年4月でした。改めてこの時期の勢力図を簡単に説明します。

2013年から2014年夏までの勢力図

アサド政権とクルド人は敵対関係でも共闘関係でもありませんが、互いの領域を侵さない中立的な関係にありました。しかし、反体制派はこの中立関係を許さず、アサド政権と同様にクルド人も敵視していました。もともとスンニ派で構成される反体制派の武装勢力は同じスンニ派でもクルド人を快く思っていない面もありました。

新しく登場した勢力としては、ISIL(イラクとシャームのイスラム国)があります。自由シリア軍とヌスラ戦線とも異なる思想を掲げた組織です。自由シリア軍は穏健派、ヌスラ戦線は強硬派と色分けすれば、ISILは独自の解釈でイスラム国家の建設を夢見た異端分子でした。ヌスラ戦線との共闘を模索していましたが、決裂し、2013年秋から2014年にかけて、ISILは全ての勢力を敵とみなし、攻撃を開始していました。

・トルコからシリアへの入国方法

僕は2014年4月、トルコに到着しました。反体制派地域を取材する最もメジャーなルートがトルコからの入国です。なぜなら、トルコは反体制派を支援しており、シリアとトルコが接する国境沿いは反体制派の支配下に置かれています。そのため、国境が開かれていました。といっても、一か所だけでした。それが、トルコの南部の町キリスとシリア北部の町アザーズを結ぶ「バーブ・アル=サラーム」という国境でした。ここから、物資の搬入、世界各地から押し寄せた義勇兵の通行を許可していました。メディアの人間に対しても開かれていました。

2012年、2013年、アレッポでの二度の取材はこの国境を利用していました。2014年4月、僕は三度目のアレッポ訪問のため、やはり同じ場所を訪れました。トルコ側の出入国管理所に顔を出すと、「パスポートがあれば、入れるさ」と係官はサラリと言いました。でも、僕は不安でした。なぜなら、半年ほど前に、ISILがアザーズを支配していたのです。今年に入り、ISILはアザーズから撤退しましたが、情勢は非常に不安定でした。

ISILはメディアを敵視していました。スパイだと疑い、拘束したり、誘拐したり、処刑したり、やりたい放題で、その影響は他の反体制派勢力にまで波及していました。トルコ側が「オッケー」を出しても、シリア側がどうなっているか分かりません。シリアに入国した途端に、そのままどこかに連れ去られる可能性もありました。

シリアでは自分の命を自分で守ることはできません。命を預けても問題ないと思えるような信頼できるパートナーが必要でした。特にこの時期のシリアは混沌としていて現地の情勢の把握どころか、海外のメディアもシリアでの取材を諦めつつある状況でした。一か八かで入国する勇気は僕にはありませんでした。なので、この国境からの入国を断念しました。

僕にはかつての取材で仲良くなったシリア人がいました。彼はトルコに住んでいました。その彼に事情を説明して、「何とか別のルートでシリアに入国できないか」と頼んでみました。それからしばらくして、彼から連絡がありました。

「自由シリア軍の戦闘員に友だちがいるから、そいつに案内してもらえ」

直接、自由シリア軍と行動を共にするということです。いわゆる、従軍取材の誘いでした。従軍にはメリットがあります。まず衣食住の世話をしてもらえる。さらに戦闘員と行動すれば、彼らの一員であり、身分が保証され、生命の安全も確保され、他の勢力からスパイだと疑われることもなく、誘拐の心配もありません。ただ、メリットばかりではありません。それは、一度従軍したら、適当に取材を切り上げて、シリアを出ることはできません。また、危険度が増します。なぜなら、戦闘員は市民とは違って、戦うために存在します。そんな彼らと一緒にいれば、当然、命のリスクは最大限にまで高まります。それでも、僕は友人からの誘いを聞いて、答えました。

「分かった。その戦闘員に僕のことを伝えてくれ。日本人のジャーナリストがシリアに入りたがって、うずうずしていると」

2014年5月2日、僕はその戦闘員とトルコの南部の町レイハンリで会いました。以前に僕はこの町から密入国してシリアに入ったことがありました。ということは、また密入国ということか。戦闘員の彼の名前はハーリド。24歳の若者でした。

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