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シリア-7- アレッポ

シリアは自由シリア軍&ヌスラ戦線とアサド政権の二つの支配地域に分断されていました。もう一つ加えるとすれば、クルド人です。この3者がそれぞれの地域を支配していました。

シリアが本格的な戦闘に突入

アレッポはこの3者が入り乱れていました。アレッポ西部はアサド政権、アレッポ東部は自由シリア軍と真っ二つに分かれていました。その一角、ごく僅かな地区にクルド人が独自に支配する町がありました。僕が2012年10月に訪れたのは、自由シリア軍の支配地域、アレッポ東部になります。

・降り注ぐ爆弾と鳴りやまない銃声

僕は国境の町アザズのメディアセンターで車を手配しました。アレッポまで100ドルです。スペイン人の記者とカメラマンが同乗していました。やはり、この国境(アザズ)から海外のメディアは出入りしているようです。なにしろ、プレスカードも、ビザも、何もいらないのです。パスポートだけあれば、ジャーナリストでなくても、なんなら観光客だって、戦争をしているシリアに容易に入国できました。

そんな状況下で、最も盛んに出入りをしていた外国人といえば、義勇兵になります。ソ連がアフガニスタンに侵攻した際、アフガニスタンとの国境近くの町、パキスタンのペシャワルには大量の義勇兵が駆けつけていたと僕は本で読んだことがあります。それと同じ状況が今、シリアで起きていました。車内には、僕とスペイン人、その他に数人の国籍不明の外国人がおり、途中の自由シリア軍の基地で降りていきました。

廃墟と化したアレッポはモノクロの世界でした

さて、アレッポに到着です。初めての訪問になります。はるか昔から商業の要衝として栄え、町を見下ろす頑強が城、アレッポ城が聳え立ち、その麓には世界遺産にも登録されている迷路のような巨大なスーク(市場)が網の目のように張り巡らされています。それが僕がイメージしていたシリア第二の都市、アレッポでした。でも、到着早々、真っ先に感じたことは、とにかく「暗い」でした。綺麗な青空が広がっているのに、目に映る景色がモノクロなのです。こんな経験、僕は初めてでした。

建物が軒並み破壊されていました。外壁のブロックが崩れ落ちて、部屋の中が丸見え、そこにはベッドがあり、食器棚があり、絵画が飾られていたり、つい最近まで暮らしていた人々の営みが生々しく残されています。中には、完全に瓦礫の山と化して、跡形もなく吹き飛んだ建物もちらほらと見かけます。アレッポから色彩が奪われたのは激しい戦闘の結果でした。

重低音が町全体に反響します。迫撃砲が着弾する音が鼓膜を震わせますが、戦闘機、ヘリコプターから落ちてくる爆弾、ダマスカスから飛来するミサイルが爆発すると、地震でも起きたかのように町全体が揺れます。青空の下でモクモクと湯気のように揺らぐ黒煙が何本も立っています。銃声は24時間、やむことはありません。ここでは小鳥の囀りと変わりません。誰も気にしていないし、それが当たり前になっていました。

・血の水たまりと愉快な歯科医

僕はこんな世界にポツンと取り残されました。アレッポに到着したと運転手に告げられて、そのまま降りたけれど、、、同乗していたスペイン人はどこかに消えていました。僕はよく分からないまま、アレッポの都市を歩きました。行き交う兵士たちは皆楽しそうでした。これから死ぬかもしれない前線に向かうのに。でも、アレッポはどこにいても前線でした。空からは爆弾、通りにはスナイパー、これが戦争なのかと改めて実感しました。

僕は病院にたどり着きました。アレッポで最も大きな病院です。僕は玄関口に腰を下ろして、一息つきました。毎分、負傷した人々が担ぎ込まれてきました。子供や女性、自由シリア軍からアサド政権の兵士まで様々です。医師が僕に声をかけました。「病院の中を撮影するのはいいが、外はやめてくれ」。病院の正確な位置がアサド側に知られると、狙われるのです。

次から次へと運ばれてくる負傷者(ダル・シファ総合病院)

「100人の戦闘員を殺すより、一人の医師を殺した方が効率的だ」。医師は僕に笑いながら、言いました。「医者はそこそこ金を持っている。だから、戦争が始まると、真っ先に逃げたのは医者だ。これから医者が必要なのに、、、奴らは消えた」。「でも、あなたは残っているのですね」と僕が口にすると、「そうだなあ。医師であれば、残るのが当然だからな」と答えました。病院の床は血で真っ赤に染められていました。治療の待つ人々が血を垂れ流し、それが水たまりになっていました。それはまるで戦争映画でよく見る光景でした。医者も看護師も医療設備も薬も病室も、何もかも足りませんでした。

「アッラーフ・アクバル!」

誰かが叫びます。驚いて、声のする方を見ると、先ほど運ばれてきた自由シリア軍の若者が仲間に担がれていました。死んでいました。僕が病院に滞在した時間は2時間ほどです。その間、手足が吹き飛んでいたり、腹部を抉られていたり、搬送されてきた途端に息を引き取ったり、アレッポに到着して早々、僕は今ある現実をうまく受け止めることができず、しばらく何も考えられませんでした。ただ目の前で戦争が起きていました。

そんな僕に、一人の若者が声を掛けました。「面白い人がいるから、紹介してやるよ」。こんな地獄みたいな場所に「面白い人がいるのだろうか」と気になり、その若者についていきました。案内された場所はアパートの一室、白衣を着た医師が椅子に横たわる男性を診ています。

「俺は歯医者だ。怪我した人間の治療はできないが、歯の治療ならできる。もうこの辺りで残っている歯科医は俺だけだ」

僕は驚きました。いつ死んでもおかしくない環境、そんなところで平然と歯科医が営業しているのです。しかも、ユーモア溢れるジョークを飛ばして、気分の落ち込んだ僕をたくさん笑わせてくれました。

歯科医のアブド

「歯医者の仕事は何だと思う?歯の治療だけじゃない。最も大切なことは患者の口を開けることだ。自由な発言をできないような社会は許せない。今も秘密警察の目を恐れている人たちはたくさんいる。そんな彼らの口を思いっきり開かせてあげたい。それが俺の仕事だよ」

彼と話をするうちに、モノクロだったアレッポの街並みに少し色がつきました。「面白い人がいる」。こんな過酷な環境だからこそ、それに打ち勝つユーモアが必要だと思いました。それがたとえ虚勢であったとしても。

「アンタ・シュジャーア(あなたは勇敢だ)」と僕が別れ際に言うと、「アナー・マジュヌーン・ファカト(俺は単なる変わり者なだけさ」と彼は笑いました。彼は民衆蜂起が始まる以前から、アサド政権を批判していました。近所の住民はそんな彼を快く思わなかったそうです。彼のことを「マジュヌーン」と呼ぶ人々もいました。でも、誰もが口を開いて、自由に叫べる環境、それを彼は待ち望んでいました。だから、今でも歯医者をしているのです。僕は心が打たれました。

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