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万葉の恋 第4夜


あれから、9年


彼は職場でカミングアウトし、
私はバツイチになった。

変わらないのは、
彼との距離感と私の気持ちだけ。

変わったのは

周囲の視線と彼の笑顔。


・・・。


「さて」

席を立った私に後輩が聞く。

「有村先生の所ですか?」

「うん、ちょっと早いけど」

「そういえば、さっきの“旅行”って
なんですか?」

「・・この距離でよく、聞こえたわね」

「神が与えし、才能です」

ドヤ顔・・。
に・・寝ぐせ。

ちょっと面白かったから教える事にした。

「先生、原稿遅れそうになる時、
必ず旅行雑誌が増えるのよ」

へぇと頷くと一緒に寝ぐせで跳ねた髪が動く。

「でも、雑誌が増えていってたら、先輩も
わからなくなるんじゃないですか?」


「原稿が上がったら、雑誌を回収
してんだよ」


・・・・。

私の代わりに、いつのまにか
後ろに来ていた三上が答えた。

おぉと久しぶりに感情を込めて頷いた
後輩に声をかける。

「私、仕事できるからね。」

「うわぁぁぁ。すごぉぉい、
いってらっしゃぁぁい」


棒読みに戻る後輩の頭を軽く叩いた。


「戻りは?」

三上の質問に腕時計を見る。

「ん~、たぶん14時には戻れるかな」

「了解。書いとく」

「ありがと。じゃ、外、行ってきまぁす。」

スケジュールボードに向かう三上。
なり続ける電話。
資料とにらみ合う後輩。

賑やかなオフィスに向かってあげた声に
視線を合わせる事なく、編集長が手を振った。


長いエスカレーターで、
1階ロビーまで降りる。


あれ・・

受付に、どこかで見たような子を見つけた。

地面に近づくまでに
はっきり見えてきた。

やっぱり・・
あの子、昨日の・・。


受付で断られたのか、少し視線を落として
出入り口に向かって歩いていく彼に
慌てて声をかけた。


「あっ、ちょっと」

私の声に振り向く。

「あっ」

ちゃんと覚えていたのか
また恥ずかしそうな、安心したような
なんとも言えない表情を見せた。


ロビーのソファで向き合って聞いた彼の名前。

島崎 日向(ひなた)

東京医科大学の4年生・・。

「えっと、昨日の事?ホントごめんね。
彼ちょっとお酒が入りすぎてて」

この言葉、何回言ってきただろう。
って言うか、なんで、私が言うんだろう。

「あっ、いえ、あの、まぁ、
びっくりはしましたけど・・」

記憶がフラッシュバックしたのか、
顔が青ざめたり赤くなったり・・

じゃあ

「何か彼に用があったの?」

左手に、三上が渡した名刺を持っていた。

私の質問にそんなに
力をいれなくてもいいのに・・。

グッと握りしめた手の中、なかなかの角度で
名刺は折れ曲がった。

「あの、小説を読んでほしいんです。」

あぁ

「持ち込み?」

“せっかく”医大に行ってるのに。

昨日の件もあって、むげに断るのも
可哀そうには見えたが、
正直、時間はなかった。

「すぐに返事はできないけど、
預かっていていいなら」

受け取るだけでも、

手を出した私に、突然 首を振り出した。

「あっ、いや、俺じゃないんです。
俺じゃなくて、あの・・従妹が書いた小説を」


いとこ?


「・・えーっと、じゃあ、モノはないの?」

「あっはい、ここには」

「ここには?」

「福岡にあります。」


・・福岡?

一瞬、美味しそうな
料理の数々が浮かんだ。


「あぁ、そう・・。えーっと、そうね。
福岡・・ね。それは、ちょっと」

“無理”と言おうとした時だった。


「連絡先教えてくれたら、行くよ」


!?

振り向くと笑顔の三上が立っていた。


「あっ」


足を進める三上に対し、
多分無意識なんだろうけど
少年の体が後ろに倒れていく。


そんなに距離つめんでも、
聞こえるだろが


その「いとこ」の連絡先を聞いた三上は、
ちゃんとした理由をつけて
少年の連絡先も聞いていた。


「彼女とのパイプ役に
なってもらわないといけないし」


あぁと、納得した少年は、
簡単に連絡先を交換していた。


「・・じゃあ頼んでいい?行ってくる」


「おおぅ、気を付けてな」


振り返ると、こっちを見て立ち上がりながら


「ありがとうございました」

と礼儀正しく少年が頭を下げていた。


・・・・。

少年、もう少し人を疑う事を知りなさい。

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