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見失わずにいたい

美しい幻想と現実が混ざり、見たいものが見えない。
なにがそんなに眩しいのか。照らすものはなんなのか。私はなにを求め、そこにいくのか。

社会人2年目、地元を離れ6年目。いろんな「ここ」で、みえたものもあれば、再びみえなくなったものもあった。
私の過去でできた手綱は、今もそこで使えるとは限らない。
(もう、過去の自分を救いたくて生きている訳ではない。)
めくるめくものの内側にあるそうでないものは、長くいないと、居続けないと、わたしにはわからないと思っていた。

けれど最近は、私が大切にしたいと思っている人たち、なにか声をあげてほしい。言葉にしてほしい。薄っぺらくても、ありきたりでもいいから、と思う。
居続けなくても、そこから少しずつ見えてくる。ただそこにあるものごと、私がそこに行く、居る意味。
という事をわかったのはつい最近で、だいぶ時間がかかってしまった。

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これはebetsutoのコーディネーターの振り返りの一部。1年半一緒にやってきたけど、あまり言葉にしてこなかった大切なことを沢山話せたな〜

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地元、遠軽にカフェができた。この場が必要だと言う人たちの想いや声を、ただ話されるだけでなく残せたということは、わたしにとってもよかった。今年度は月1くらいで帰って、カフェ営業して、交通費くらい稼ぐ生活をしたい!笑 

綺麗なところしか見えない距離感もいいかね?と思い、地元で撮った(景色としてみて)超好きな写真をあげていく場を作ってみました

やりたいことをやるために就職(就活)をしなかった訳ではなかった

最近、「やりたいことないの?」と、よく聞かれる。
他人のやりたいことの伴走ばっかで疲れないの?とか、それだけで物足りなくないの?とか、そういう意図で。
遠慮していると思われることも多々あるが、それっぽい意味がありそうで、イベント的で、パッとしている(見栄えのいい)「誰かとこれをやりたい」的なことが、思いつかない。

相変わらず人と関わることが苦手で(コミュニティ運営を主軸に飯を食っている。よくやってるなと思う。)料理とか、写真とか、モノに向き合いたい。これらを誰かに教えてもらいたいとも思わない。
(人が嫌いなわけではないです。ドユコト?って感じだよな)

コミュニティ運営とか、イベント運営とか、本当はやりたくない。(楽しくないわけではない。誰か代わりにやれる人がいるなら、手放したいなという感じ。)けれど仕事にしている。自分で選んで。
色々あって、これしかなかった。(今はこれがいいと思っている。)

多分ずっと鬱だった

(この話、度々書いている気がするなあ。)
私はまだマシな方だから我慢してればいいとか、これは性格とかの問題でとか、2年くらい思っていたことがある。
・夜寝れない、朝起きれない
・しょっちゅう胃炎になる
・ずっとぼんやりしてる
・自分の存在価値を(周りからなんと言われようと)認識できない
・人と会うのが怖い、目を合わせられない
・料理をするのが怖い
この辺のことを抱えながら、人と向き合う仕事をするのは、流石に辛かった。

行政と学生の間を保つポジションで、人間が怖い、自分の価値もわからない、ずっとぼんやりしていて頭が働かない、生活リズムが公務員や学生と合わない、は、「マジで論外、クビです」だ。
そこまでいって初めて病院に通い、約1年が経とうとしている。

これで精神マッチョになった訳ではない(なんとなく安心している)けれど、ようやく冷静に物事を考えられるようになってきた。
自分のことも自分で認識できるようになってきた。

このことは、家族には言えていない。
まだ、自分が守られない気がしてしまう。

言葉は呪いじゃね?(違う?)

私の中で「言葉」は、ずっと消えずに付き纏う呪いとしてあるものだった。そうして生きてきた。そうすることでしか自分を守れなかった。

ただ、「言葉には賞味期限がある」と教えてくれた人や、「人の気持ちはその時々で変わるものだから」と言っている人と一緒に過ごせた5年間で、やっと呪いとして扱うことをやめられつつある。
というか、言葉は吐き続けるものなのだなと思い始めている。

けれど、過去は相変わらずで、呪いは呪いのままいる。
まだ、「保護者的な人」や、「みんな」という存在のもとであった言葉の恐怖心は薄れない。

私をなんにでもできる影響力、それに呑まれないようにを強く思う

「あなた(たち)の言う正しい人にならなきゃ生きていけないのではないか」ということは、常々思ってしまう。
地元にいた頃は両親や友人に対して、今は仕事相手に対して。(私には、個人がやらかした時に守ってくれる会社がないようなもの。私を守れるのは、私しかいない。)

そう。相手の気を損ねたら、捨てられるかもしれない。(だから生きてけない訳じゃないけど。)←「だから生きてけない訳じゃないけど。」を、堂々と思えない。
自信を持って「私にはこれができる」と言えるようなマインドも技術も持ち合わせていないし。

今の「できると強く思えるものがない」感じが最悪だという訳でもない。ずっとこんな感じでいたいなとも思う。

けれど、自分の想いを大事にできる場で生きていたい(働きたい)という意地はあるし、多くの人がそうあれるように生きたいという熱もある。

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