04 10年暮らした町 #コラム

 衣食住において、一番お金をかけたいと思うところは住むところだったりする。これは20歳までに引越しを5回以上もしたせいか、上京してからも5回以上引越ししているせいかわからないが、とにかく居心地のいいところに住みたいと願うことが多い。

 両親は流浪の民なのかと思うほど、同じ県内で引越しをした。大体においては学校の節目であったので転校を繰り返した記憶はない。辛い思い出はない代わりに、地元愛のような思い入れもあまりない。地元の友達や近所の人の顔はほとんど思い出せない。けれども上京した後に、10年暮らしていた所を用があって車で訪れた。幼稚園の頃から、中学を卒業するまでそこに住んでいたように思う。成人してからは一度もこの町には訪れなかった。

 数年ぶりの町は、何もかもが小さく見え、腕の中にすっぽりと入ってしまうような気がした。住んでいた家の近く、通っていた小学校などを車で回り気がつけば夕方になっていた。町を見下ろせる高台に車を止めて記憶の中に降りる。夕暮れ時の頃、風が竹林を撫ぜる音が大好きだった。家のベランダから見える遠くの電車とその音が好きだった。暮らしていた頃はこの町の事が嫌いだったような気がしたが、その時はただひたすらに愛おしかった。冬の何も生えていない田んぼの間にまっすぐ伸びた、中学校へ続く道を紺色の制服で歩いた記憶も、自転車でドキドキしながら町のはずれまで行ったことも、坂の途中にある大きな図書館の薄暗い入り口で水飲み器で喉の渇きを癒したことも手に取るように思い出せた。私はかつてこの町で10年生活していたのだ。10年分の私がそこかしこに存在する。この町に来るまではなんの感慨もなかったが、次々と蘇ってくる当時の記憶を前に、戸惑いながらも自分自身がこの町を離れた後から好きになっていたことに気がついた。また訪れる機会があれば、私は密封された記憶の封を切るだろう。小さな町、私の暮らしていた町。10年暮らした、町。

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