【声に出す大切さ】どこか”痛い”ときはマリオになろうって例え話
おはようございます、タダノ物書き|マルマグです☀
昨日の記事で、「肩痛い…!」から始まったネガティブ記事を反省し、今回は「声に出す言葉の大事さ」について執筆します。
昨日は、肩が痛いというだけで気持ちとしては荒れに荒れ、MarshallMajorⅣで耳を塞いで爆音でミュージック逃避行をしていたのです。
が!
これでは、昔の私と何も変わってない!
と言う気付きをしまして、どうせゲームライターを営んでいるのなら、
「いたっ!」とか
「くそっ!」て言うより、
「マリオのセリフを言えばいいんじゃないか?」
と言う、謎の思考が働き、実践してみたら「いい感じな気分」になった話をします。
もちろん個人差や、性格上「マリオ」でなくてもよいのですが、
私は、配管工の陽気なノリが合ってました。
痛い代わりに「いやっほ~♬」と声に出す
結論。
「いやっほ~♬(グギッ)」だったりするのですが、声に出す言葉というのは不思議なものです。
「なんだ、この痛み、大したことないじゃん」
くらいの捉え方に変わりました。
夫にも、「くそと言われるよりかマシ」という素朴な言葉をもらって、
「やっぱ、声に出す言葉って大事だなー」と思った次第です。
強がりでもいいんじゃない?
この「いやっほ~♬」作戦は、根本的解決にはなりません。
しかし、「こうか は ばつぐんだ!」と実感しました。
(別ゲームですが、同じ任天堂作品ということで)
そうなんです、言葉というのは不思議なもので、
人それぞれ、「ポジティブになれる言葉」や「気分が上がる言葉」と
「ネガティブになる言葉」や「悲しい気持ちになる言葉」というものが存在する、と科学的根拠は知りませんが、経験則でそう思っています。
大事なのは、「自分」です。
結論。
自分以外は、血がつながっている家族であろうが、親しい友人だろうが、恋人だろうが
他人ですから。
自分以外は、同じ経験をしてこなければ、同じ経緯を辿った訳じゃないので、「同じ気持ち」になんてなれっこしないです。
なので、どんなに博識な方であろうが、寛大で優しい性格の持ち主であろうが、心の底から「共感」なんて事象はあり得ません。
「この人だったら、こんな思想だろうから、こう言っておこう」
くらいの
中田のあっちゃんの発信しているところの「いいひと戦略」ってやつをされているだけですから~!
結論のまとめ
まぁ、ここだけ押さえておけばOKです。
マリオを始め、陽キャラは演じられる
演じるのが大事ではなく陽キャラで声に出すことが大事
強がりでもポジティブになれる言葉は上がる
自分以外は他人
ちょっと笑いが取れるといい気分にならない?
て感じで、これから次の案件に取り掛かろうと思います。
タスクはふんだんにありますので、物書きとしては冥利~と言いたいところですが、有り余っている状況なのでちょっと複雑です。
ではでは、さっくり読めたら幸いです^^
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