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あとから自覚したこと


うちの子は、自閉症スペクトラム。

おとなしいタイプの、軽度。
3歳で診断が付いたのだけれど、うちの場合は、

癇癪がない。夜泣きもない。止まれと言ったら止まる。
食べ物の好き嫌いなし。

だったので、「困っていることはある?」と聞かれると、
はっきりと答えられるようなことはなかった。

言葉は遅いけどたまにいるみたいだし。
寝付きが悪いけど、そういう子もいるんだろうし。夜泣きしないだけいいか。
なんか表情少ないし、甘えるとか全然ないけど、そういう子なんだろうし。

こちらの声かけずっとしてれば反応が増えてくるはずだし、
まぁ食べ物好き嫌いないし、問題行動ないからありがたいよなぁ。

と、思ってきた。

ただ、診断が付いて確信したのだけれど、

私は、困っていた。あれは、困っていたのだ。

ボディブローのように効いてくる、個性のように見える数々のこと。「育児って大変だから」「もっと困ってる人はたくさんいるから」って、その言葉、それは間違ってはいないのだが、困っている方向は、やっぱり多くの人が味わう種類と違うものも多かったのだ。私は困っていた。

診断が付いたからって、困った感が消える訳ではないし、心配事は余計に増えた気がするくらいだけれど、この、「私は困っていない(と思う)けど、なんかなんかなんだろうこの日々は」という気持ちが、ひとまず「こういう困り方が存在するんだ」という形になって、一つ昇華された気がする。それが、私の中でまず一つ大きい。

あぁ、私は困っていたのだ。
そして、子もまたきっと、困っていたのだ。(と思う)

普通に暮らしてても「私なんかまだまだ」って思ったりすることあるけれど。「まだまだだから頑張ろう」って前向きになれるのなら良いけれど、前向きにならないならば、ちゃんと辛いっていうことなのかな、と思った。そのときはなかなか自覚できないけど。

他と比べるのやめよう。
これは困っている感ってことを自覚しよう。その上で、対策を立てていこう。支援にもつながっていこう。ちょっと前向きなことを言ってみよう。

もやっとしていたのが晴れた。すっきりしたな、というお話でした。


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