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森林エキスパートに聞いた 意外と知らなかった林業のせかい

 〈海があるけど山がない千葉県〉から〈山があるけど海がない長野県〉に移住して3年目の主婦です。毎日山に囲まれていたら林業のことが気になり始め、森林エキスパートにお話を伺う機会をいただきました。

 タイトルで「世界」を「せかい」としたのは、ちょっと難しそうな林業について易しく書いてみたい、知らざれる林業ワールドを覗き見するワクワクを伝えたいという思いからです。お読みくださった皆様が「林業」や「森林」について今までよりも興味を抱けるようになられると嬉しいです。

今回お話をうかがったのは島﨑和友さん。

佐久穂町と旧臼田町を管轄とする南佐久北部森林組合の代表理事専務、一般企業でいう代表取締役のような立場の方だ。同組合の立ち上げ当初から約40年間お勤めされている森林エキスパート。

1981年(昭和56年))に八千穂村森林組合※に入職したとき職員は島﨑さんひとりだった
戦後に植えられたカラマツはまだ若く、ひたすら育てるという時期だったのだ。
※八千穂村森林組合=昭和57年に臼田町森林組合・佐久町森林組合と合併して南佐久北部森林組合となる

そもそも林業とは

 「林業」という言葉、社会の授業で聞いたことはあるけれど…という方が多いのではないだろうか。私も当初は「木を伐って売る仕事」なんだろうなという漠然としたイメージしか持っていなかった。

 まず、林業よりは少し身近だと思われる農業と比べてみると

 ・農業・・・畑で 野菜等を育て 収穫して 売ることで  農家の収入になる
 ・林業・・・山で 木を育て   収穫して 売ることで  林家(森林所有者) の収入になる

 自然に育った木を伐る仕事だと思いこんでいた私は、農業のように育てて収穫するというプロセスがあることに少し驚いた。

 農業と大きく異なるところは収穫までの年数だ。樹種にもよるが木が収穫できるまでには30~50年かかる、佐久地域の主要樹種であるカラマツは50年位。

そして野菜を育てるのと同じように木も収穫期になるまでの[手入れ]が必要だ。

・農業・・・土作り→植え付け→[芽かき・間引き・土寄せ・追肥等]→収穫→箱詰め→出荷
・林業・・・地ごしらえ→植栽→ [下草刈り・ 除伐・ 間伐] →収穫→積込運搬→出荷

 作業の意味合いは農業と似ているが、木は巨大だ、特に間伐期以降は木が大きく育っているためすべての作業に重機が必要になる。そこで大切な役目を果たしているのが森林組合だ。多くの森林所有者は手入れや収穫を森林組合に委託している。

<高性能林業機械のハーベスタ>
チェーンソーで伐り倒した後がハーベスタの出番
木の枝を払い落として出荷に適した長さに切り分ける機械
手際よく動く様子はまるでロボットの手首のよう

森林組合とは

 森林組合とは森林所有者が組合員となり出資して設立した協同組合で、森林を守り育て続けるために協同の力で森林経営をする組織だ。主な業務内容は次の3つが挙げられる。

・経営の相談=各組合員から委託されて森林の状態を調べたり、収穫して出荷したときの売上予測などの情報を伝えて森林経営の相談を受ける。
・森林の管理=組合員から委託されて森林の手入れをする。
・木材の販売=組合員から委託されて木を収穫し市場に出荷する。

 組合員には町(自治体)・企業・寺社・個人など様々な方がいる。南佐久北部森林組合で一番の大口組合員は佐久穂町で、組合全体の森林面積の三分の一を所有している。町をはじめ組合員のほとんどが森林組合に管理や販売を委託していてその委託手数料が森林組合の収入となる。委託せずに自身で管理販売をする組合員は、林業を仕事としている企業くらいだ。

林業の今まで

 古来から木は建築・土木・生活道具・燃料など生活に欠かせない資源だった、木を伐って必要があれば植えて育てるということを続けてきた。ところが戦後はずっと森林保全のための除伐や間伐が主な仕事だった、どうして戦後から急に変わってしまったのだろうか。

 [1940年頃から現在までの森林の様子]

・戦争と復興(1940年代)

 第二次世界大戦中、日本中の山々から膨大な量の木材が伐り出され軍事物資として使われた。そして戦後の焼け野原に建物や工場を建てて復興するため、更に多くの木材が必要となった。佐久穂町近辺ではカラマツは工事の資材に、ナラ類は燃料として復興のために伐って売られた。取材に伺った八千穂高原別荘地辺りの山も坊主山だったそうだ、この時期に日本中の多くの山々が丸裸になってしまった。

・坊主山になったことで相次ぐ災害(1940~50年代)

 森林は山の斜面に根を張ることで土砂崩れを防いでいる。それと同時に森林の土は柔らかくたくさんの水分を保持できるので森林自体がダムのような働きをして少しずつ川に水を流す、それによって洪水や水不足を防いでいる。木のなくなった山は土砂崩れや洪水を引き起こし大規模な災害が毎年各地で起こっていた。

・植林と輸入そして今へ(1950年頃~)

 [植林]
 木材不足と災害防止のためたくさんの人工林が造られた。成長の早いスギやヒノキ、寒冷地にはカラマツが植えられ日本の国土面積のうち27%が人工林となった。
 佐久地域では青年団・消防団に加えて中学生までもが動員され、毎年数百haのカラマツが植林された。

 [輸入]
 植林と同時期に木材の輸入を始めた。輸入木材は安いため国産材の需要は下がり値段も下がった。

 [そして今]
 植林後50年以上手入れをしてきた森林がやっと収穫期を迎えたところだ。しかし木の値段が安すぎて収穫しても収益があがらない状況になっている。

<取材場所の島﨑さんの小屋とカラマツ林>
島﨑さんが小さい頃この辺りは畑だった
約50年前に植えられた木がいまこの大きさ

忘れてはならない森林の大切な機能

 森林の木々を木材にするために伐りすぎたことで、山や川を守る機能が失われ災害が発生した。そして今度は災害から私たちの生活を守るために植林され育てられてきた。木材の需要は輸入によって補えるが、日本で暮らす私たちの生活を守るためには森林を私たちの手で維持していく必要があるのだ。

 近年、森林は山や川を守る機能以外にもCO2排出削減のための役割が重要視されてきている、そしてこれからは「循環型の森」を作っていくことが目標になっている。

[循環型の森]
少しずつ伐りながら育てることで半永久的に毎年木材を切り出すことができる
あらかじめ区画を分けて計画的に伐っていくことで様々な樹齢の区画ができていく
カラマツは樹齢50年位が収穫期なので50年で循環させる

循環型の森はいいことたくさん

 循環型の森にするとどんな良いことがあるのかを挙げてみる。

1,資源の有効活用、木材自給率UP

長い年月をかけて育ててきた材木という貴重な資源が山にたくさん貯蔵されている、これを有効に使う環境を整えていくことで木材自給率が上がる。

2,CO2吸収力UP

 木がCO2を盛んに吸収するのは樹齢30年位までの成長期だけ、それ以降は成長が遅くなりCO2の吸収量も減退していく。収穫期を迎えた木は伐って苗木に植え替えることでCO2をたくさん吸収できるようになる。

3,炭素固定量UP

 CO2を吸収して育った木はCO2を木の中に固定している。この固定されたCO2は木が燃えたり腐って朽ち果てたりするまでは木の中に留まっている。例えば伐った木が建築用資材となった場合、その建物がある限りずっと炭素を固定しておくことができる。木造建築や木製品を増やすことで炭素固定量UP=大気中のCO2の減少に繋がる。

4,森林所有者の利益UP

 育つのに50年かかるカラマツの森では、循環型の森にするために土地を50区画に分けて、毎年1区画分の木を収穫し出荷する。その売上で残りの49区画の手入れにかかる経費以上の額を毎年還元できるようになる。

5,雇用の創出

収穫期を迎えた森林はたくさんある、これらの森林を循環型の森にすることで林業従事者が必要となる、森林のある地方で働く人が増えることで町の活性化にもつながる。

南佐久北部森林組合の挑戦

・転機は6年前

 島﨑さんによると、6年前までは間伐ばかりしていて主伐(成熟した木を売るために伐る)という発想がなかったという。当時、北海道では主伐をして循環型の森にする動きが始まっていたが、長野県内ではまだどこの森林組合もやっていなかった。しかし早く始めないと木は樹齢を重ねていくばかりで50年後には老いた木ばかりになってしまう。

 前例がほとんど無い中、まずは佐久穂町の所有する20haの土地を皆伐することで循環型の森への第一歩を踏み出した。植林後50年目に収穫の予定とし、50区画分の土地を毎年1区画ずつ循環させていく計画を立てて佐久穂町や組合員の方々に了承を得たのだ。今年で6年目、これからも毎年20haずつ皆伐し植林し手入れをしていく。当森林組合が管轄する森林面積は15,000ha、それを考えると20haはとても小さな面積だ、それでも今の人数で実現できるこの面積でまず始めてみることが大切だった。

※1ha=縦100m×横100mの面積≒野球場のグラウンドの広さ位

・今年からは

 この6年間の実績のおかげで今年からは個人所有者の共有林でも循環型の森に向けた取り組みが始められることになった。循環型の森にすると毎年1区画分の売上があるので共有の所有者全員に少しずつ配当することができるという。

 今までは木材の販売価格が安すぎて利益が上がらないことから、主伐後の植林をためらう森林所有者が多かった。そんな中、循環型の森にすれば毎年少しずつ配当を受け取れるということは森林所有者にとって望みがもてる仕組みができたと言える。

<植林の様子>
循環型への取り組みを始めている森林組合はまだ少ない
南佐久北部森林組合では森林の一部で循環型の森にするための皆伐と植栽を
6年位前から始めている。
(写真:南佐久北部森林組合HPより)

新技術の開発により広がってきた木材利用の方法

  循環型の森が広がれば日本の木材資源は半永久的に持続していくことができる。その資源をどんなことに使っていくのか、島﨑さんが注目している木材の新しい利用方法を紹介してくださった。

・木造ビルの建築

今までの木造建築は強度と耐火性能の点で建築基準法をクリアできずビルは建てられなかった。2010年以降技術開発と法改正が進んだことにより木造の中高層ビルを建てられるようになった。ビルを鉄骨を使わずに木材だけで建てていく完全木造ビル、炭素固定という意味でも期待できる新技術だ。横浜で11階建てのビルを建設中など、ここ数年で日本でも少しずつ普及してきている。

・夢の新素材<セルロースナノファイバー、Cellulose NanoFiber:以下CNF)>

鋼鉄の1/5の軽さで5倍以上の強度がある。熱にも強く、透明にもなる。

他にも様々な特徴があり、木材の繊維を原料にして色々なものを作るための技術開発が盛んに行われている。車の車体や窓ガラスに使われれば軽量化による燃費改良につながる。CNFなら廃棄するときも環境負荷が少ない。

木を伐ることを悪と捉えないで

 島﨑さんからの思いのこもった言葉を受け取った。

「林業は伐ることからはじまる、山で一部分の木がすべて伐採されている場所を見かけることがあると思う、それには何かの理由があって伐採しているはずだからすぐに自然破壊だと考えないで欲しい。」

  例えばカラマツは樹齢50年をすぎると木の中が空洞になる性質があると言われている、空洞化すると大きな材木は作れなくなるので使いみちが限定されてくる。

 ストーブの薪やきのこの原木として使われる「ナラ(楢)」は樹齢30年位のときに伐るのがベスト、残った根からまた芽が出て10年位をかけて自力で林を再生する力がある。樹齢50年位になってから伐ると根の生命力が弱まっていて芽を出さずにそのまま朽ちてしまう、そのうえ害虫の被害に遭いやすくなる。

 森林には天然林と人工林がある、人工林は伐るために人間が植えたものだ。木は長く植えておいて太くすれば良いというわけではない、適切な時期に伐ることでその素材を有効に活用することが大切だ。

50年後は孫の時代

 「自分達が植えた木は50年後に孫世代が使うんだ」この言葉が私の林業への興味を駆り立てたきっかけだった。

 取材をしてみて林業の仕事内容やこれまでの歴史、現在の状況などいろいろなことを知った。50年前に孫たちのために植えられた木が有効に活用されるどころか、木材価格下落や人手不足により悩ましい存在になっているように感じられた、もったいないことだ。

 一方でCO2吸収・炭素固定・木造ビル建築・新素材の開発・循環型の森への取り組みなど、森林への希望もたくさん知ることができた。

 これから更に50年後、どんな科学技術が生まれ何が大切になっているんだろう、木材を取り巻く環境も全く想像できない展開になっている気がする。

 とにかくいまの時代の私たちができることは50年先を考えながら循環型の森にしていくことだ。だからといって私が直接手伝えることはあまりないが、林業のせかいを応援していくために、これからも林業や森林に関わることにアンテナを張っていきたいと思う。

学校教育の一環として森林と林業の体験学習をするさくほ森の子育成クラブ(2015年~)
島﨑さんが立ち上げに携わりカリキュラム作成もされている
主な活動場所である学校林も50区画に分けてあり循環型の森になるように設計されている
この学校林は戦後に中学生が動員されて植林したところ。(写真:南佐久北部森林組合HPより)

おまけ

本文では伝えることのできなかった島﨑さんクローズアップのコーナー!!

 お話を聞かせていただくのに伺ったのは島﨑さんの遊び場という小屋、20代の頃に週末の休みを使ってDIYの本を見ながら5年間かけて建てた。だれかと作るよりひとりで好きなように作ったほうがいいからと完全にひとりで作り上げたそうだ。小屋の材料は使用済の木製電柱、ちょうど電柱が木製からコンクリート製に交換される時代だったのでなんと100本1万円という破格で手に入れることができた。

 小屋の外には島﨑さんがチェーンソーで作った木彫りの動物達と特大の表札。小屋の裏には自作のサウナや古い木樽を再利用した特大の浴槽。夏は小屋の裏の川で遊んでバーベキューをしてみんなで風呂に入るという、さすが森林エキスパートの遊び場だ。

 猟友会の活動で冬季は狩猟で忙しい、鹿の角、熊の頭部の骨、猟のわな、猟銃の空薬莢などなど!小屋の中にはリアルな猟の世界が広がっていた。

 昔は仕事の後に釣りに行き、毎日必ず家族の夕飯用に魚5匹を釣ってから帰宅していた。今は平日夕方は釣りに行かず畑をやっている。苔のガイドや高原ガイドもやっていて、秋はもちろんきのこ採りだ。

 なんと多趣味な方なんだろうしかもすべてが本格的。取材中は細かい数字を出して詳しく教えてくださるところも多く、何に対しても緻密にこなす方なんだろうと想像できた。

島﨑さん、取材にご協力いただきありがとうございました。
これからも応援しています!

高橋曜子


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