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馬との暮らし 桜町:新津常男さんのお話

佐久穂町役場近くで理容店を営む新津常男さんを訪ね、話を伺った。
常男さんは、小海町親沢出身。生まれた時から馬と生活をしていたそうだ。

親沢は、国道141号を清里方面に進み、佐久総合病院小海分院の先を左に曲がり、千曲川を渡り上った山あいの集落で、長野県の重要無形民俗文化財に指定され、300年の歴史を持つ伝統芸能「親沢の人形三番叟さんばんそう」が有名な地域だ。

常男さんの父と馬

常男さんの父は、馬による土曳きや運送を生業としていた。
「おらっちの親父は、もう19の時には馬引いていたから。家の土間にはかまど  、味噌部屋、馬小屋があり、そこで道産子の牝馬を飼っていた。親父は馬が好きだったからさ、羽織袴で帰ってきて、そのまんま馬小屋に入って手入れするような人だったから。」と話を聴きながら当時の様子が伝わってくる。

当時使っていた馬具

常男さんが中学生の時、父と一緒に土曳きをした。土曳きをした場所は、茂来山(小海町親沢側)のふもとで「どんな季節も頼まれれば仕事だからな、土曳きをしたよ。冬の雪道で材木が滑るような時は、トビで後ろから木をはたいて、あんまり早くいかないように引っ張った。」重い木材が勢いよく滑り落ちないように、トビで速度を調整する。馬の脚を怪我させないよう、注意しながら必死でサポートしていたという。


トビ(鳶口)

土曳きの仕事は、伐採している現場に馬と共に行く。その手順を簡単に教わった。

①伐採師が木を倒し、枝を落とす。
②木を滑りやすくするために、木の角を少し落とす。
③木にとちがね(かんぬき)のクサビの部分をかんぶち(小型斧)を使って、木を引っ張る向きに逆らって打ち込む。
④山から*1土場まで木を引いてくる。

木は、長い物でおよそ12mもあり、長くて太い木は1本だけで引き出す場合もあったが、短い木や細い木は数本束にして引き出したそうだ。

*1 土場=木を搬出する途中で一時的に集積する所

かんぶち


急な下り坂は道を選びながら、まっすぐ降りず斜めに下る。下りばかりではなく上りも勿論ある。上りになると馬に負担がかかるので、トビを使って引っ張り上げた。「『ほっ』っていうと引っ張るわけだ。『どう』というと止まるわけだ。」と、常男さんの父の掛け声で馬と力を合わせて作業をした。土場まで行けば、木に打ち込んだとちがねを外す。そしてまた伐採している現場に向かい、木を引いてくるという作業を何度も行った。
馬とコミュニケーションがとれてこその仕事であり、馬は大切なパートナーだった。

労働報酬は、主に木材の金額と運んだ距離で計算される。
木材の金額を決めるために”こくだし”をする。石だしとは、尺貫法を使って出した体積 "1こく(0.278 立法メートル)"が何本採れるかを計算する方法。
採れる本数×石単価こくたんかで金額が決まる。
距離は、伐採現場から土場までの距離を計算して決まったそうだ。


馬にとって土曳きは足に負担のかかる仕事だ。土場から伐採現場まで上っていくとき、馬の負担を少しでも軽減しようと、とちがねは常男さんが背負って上がったそうだ。土曳きのあとは馬の好きな麦をあげた。麦をあげると汗の出が違い、疲れからの回復が早かったという。

新津常男さんご夫婦

常男さんは、当時使っていた道具を今も大切に保管している。それを拝見しながら、常男さんの父への畏敬の念を感じた。一緒に暮らした馬は何頭かいたが、そのうち一頭だけ名前を覚えていて『はつうぐいす』といったそうだ。常男さんは、馬との思い出を懐かしんで『初鶯』というお酒を愛飲していたという。

今でもこれほど鮮明に中学生だった頃のことを覚えてるのは、『初鶯』の味や香りが当時の様子や、馬を愛し馬と共に生きた父を思い出すことが多かったからではないかと感じた。

文:大波多・西澤


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