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穴原地区の小正月行事

高岩駅から、急な坂を登った集落「穴原」。坂に沿って集落が広がっています。穴原区にお住いの3人、内藤吉男さん(84歳)、東さん(80歳)、征治さん(79歳)に子どもの頃の御物作りを主にしたお正月の様子を伺いました。

子どもも参加した御物作り
坂に沿って広がる穴原の集落、その坂をさらに山の方へ登っていくといくつかの久保に分かれています。御物の材料である「ノリデ(ヌルデ)」は、その一つ「ウルシ久保」へ採りに行っていました。ノリデ(ヌルデ)の木は、見た目はウルシとそっくりで、ウルシ久保にはノリデ(ヌルデ)も沢山あったそうです。
征治さんは、3人兄弟でノリデ(ヌルデ)を採りに行き、間違えてウルシを採って来てしまい、3人みんながかぶれてしまい大変だったそうです。

穴原では、年の暮れから1月5日頃までノリデ(ヌルデ)を採りに行きました。大人について子どもが一緒に行ったり、近所の子どもや兄弟だけで採りに行ったり、決まりはなく家によって違っていたそうです。

御物として作っていたのは、刀・俵・おんべ(花)。父親や兄が作るものを手伝ったり、教えてもらいながら自分で作ったりしました。
 
御物俵は、その家によって俵に書く言葉がちがい、「金・銀・銅」「富・福・寿」「米・麦・豆」などがあったそうです。いずれも、五穀豊穣のための飾りなので、そのような言葉になったのだろうと教えていただきました。

おんべは、別の地区では花とも呼ばれていましたが、東さんは、「ノリデ(ヌルデ)を4つに割って、はじっこを削って作るでしょ。神主さんが振るやつなんだよ。要するに、厄除けだね」と話してくださいました。

刀は、「ヘビもムカデも」で子どもが使う御物です。穴原では、自分の御物の刀は自分で作ったそうです。
吉男さんは、「皮むくのなんてやだかった。だってさ、持つところと刀の境目が平らにならねだから。凸凹しちゃって。」と昔は小学生でも鎌を使って作ったことを話してくださいました。

東さんからは、「何本作るとか決まりはなかった。寒い中で子どもが作るんだから。寒い中作るから大変だったよ。でも、ちょうどいい大きさの木を探したり、楽しみながらやったね。」と教えていただきました。

東さんが、見本に作ってくださった御物(材料:桑)。当時作っていた物と比べると、
刀は大きく、俵は細いそうです。

どんど焼きのやぐら
東さんは、「御物作りで作った刀とお餅と升を持ってどんど焼きに行ってね。それで、どんど焼きをしている最中にお餅を焼いたり、そのお餅を食べれば風邪をひかないってね。それから、その作った刀をね。鍛冶屋さんでもよく焼きを入れるっていうでしょ。同じように、焼きを入れるって焼いてきたの。こうやって回しながら。焦がしてきたわけ。そうしてきて、15日まで神棚に飾ってきたわけ。」と当時の様子を教えてくださいました。

今は、どんど焼きのやぐらは、大人が立てますが、昔は小中学生がやぐらを立てていました。
征治さんは、「昔は、どこの家にも5人も6人も子どもがいただから、どんな山から引っ張るってわっきゃねえわけだ。暮れになると、(冬休みで)みんな家にいただから。毎日のようにいくだ、一大事業だから。」と、話してくださいました。

また、吉男さんは、「おらとの先輩たちはすごかったんだよ。牛で下ろしてきたんだから。山に行ってさ、切ってさ、枝だけ落とせば、牛や馬だで引いてきてさ。土曳きってやつだ。」と。当時、各家で農耕用に飼っていた馬や牛も使って木を切り出したことにも驚きです。子どもたちも、牛や馬を使うことが生活の一部だったことが垣間見えました。

どんど焼きで興味深かったのが、「むりしゃっぽり」というものです。
東さんは、「『むりしゃっぽり』ってどんど焼きに、火を焚くでしょ。その残り、木の。火がまだついてるやつ、煙がもやもやでてるやつを家の屋根に放り投げると1年中火事にならないっていうおかしな言い伝えがあったの。」と話してくださいました。

今年度のやぐら。中に詰める木の枝(この地域ではボヤと呼ばれる)が多く、
例年になく大きく立派なやぐらになったそうです。

小正月までのお飾り
穴原では、どんど焼きまでに用意する御物ですが、他の地区では小正月(15日)のお飾りとして作ります。そこで、小正月のお飾りについても伺いました。
 
東さんのお宅では、7日の「松下ろし」でお正月の松を下ろした時に、その松を小さくして御物作りのおんべを松と一緒にくくって飾っていました。

また、14日の「まるめ年」と呼ばれる行事では、米粉で作った小さなお団子を柳や桑も木の枝に刺した物を作り、飾りました。お団子の形は、繭のような形や小判のような形があったようです。
吉男さんの家では、大きな桑の木を切ってきて天井につく位の大きなお飾りにしていたそうです。まるめ年に作った飾りは、家によって二十日正月まで、晦日正月までと飾る期間はまちまちでしたが、遅くまで飾る家では「いいかげん飾っていたぞ」と吉男さん。
米粉で作ったお団子や、正月飾りの餅は、焼いてはいけない決まりだったそうで、お汁粉などにして食べたそうです。

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また、1月7日に行われた『どんど焼き』にも御物の刀を持参し、参加させてもらいました。
お話で聞いた御物の刀の焼き入れを実際にやってみました。やぐらがおき(炭火)になり、地区のみなさんがお餅を焼いている横で焼きを入れていると、「何してるだい?」と手伝ってくださいました。

焼きを入れるところ。火からは離れていますが、とても熱かったです。
焼きを入れた後の刀。

毎年恒例の行事のため地域の皆さんは手際よく進められていました。大きなやぐらで、火をつけると炎が大きくのぼり、迫力がありました。この行事を昔は子ども主導で行っていたなんて、とても想像できませんでした。今は、PTAや区の役員さん、消防団の皆さんが取り組んでいます。方法は変わっても行事を伝えていく様子がとても素晴らしいと感じました。小学生は現在2名だけの穴原ですが、子どもも大人も楽しんで地域の行事をされていて、行事を通して地域の絆の強さが感じられました。

文:川嶋愛香


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