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柳沢こぼれ話ジャズ・ブルース、霧藻庵(むそうあん) ?

柳沢にジャズカフェ?偶然見つけた2つの表札。お店にしては、外見は普通の農家住居にしか見えない。番犬が吠えたのを聞きつけて一人の男性が家から出てきた。

小関さんは元フレンチのコックさん。柳沢に住んで35年になるという。
外で立ち話をすること20分。「ジャズやブルースが好きなんですか。」と聞くと、その話で盛り上がる。「そのうち、真空管でアンプを作りたいと思っているんだよ。」と語り始めた。

ジャズの話が気に入ったのか、オーディオセットを見せてあげるからと、家の中に入れてくれた。部屋の真正面に自作のスピーカーセットが2つ並んで置いてある。LPレコード盤が200枚以上、CDレコードも同じくらいある。クラシック、ジャズ、ブルースのLP盤が乱雑に並んで置かれている。

「マイルス・デイヴィスを聞くかい。」と言いながら、彼はアルバムからレコード盤を出して、レコードプレーヤーのターンテーブルの上に置き、針を落とす。独特の雑音が聴こえ始める。懐かしいザーという音である。スピーカーから厚みのあるサウンドが響いてきた。スピーカーの箱はコンパネで作り、中の緩衝材は座布団の綿で張り付けた。スピーカーセットはネットオークションで5000円だったという。

最後にお気に入りのマレーネ・ディートリヒのリリー・マルレーンを聴かせてくれた。「いいんだよね、彼女の哀愁を含んだ声は」

小関さん自作のスピーカーセット


木内吉平さんは、柳沢区の長老で開拓者の3代目。立派な仏壇の上には、祖父、両親、伯父の写真と昭和天皇の写真が飾ってある。仏壇は開拓で入植したおじいさんが仏具店に作らせたと教えてくれた。
掘立小屋に住んでいたのに、仏壇だけは立派なものにした。「なんでだか、私には分からないけんどね。」と吉平さんは言う。「じいさんは偉かったな。木挽き(こびき)職人だったから、大きなのこぎりを使って丸太を板にしてU字形に組んで、八千穂レイクから柳沢まで3里の長さ(約12km)だったけんど、水を引っ張ってきた。そのおかげで、柳沢は田んぼっきりだった。」

「両親と私と妹は1年間でしたが、満州開拓団に参加したんです。」と言いながら、分厚い本を見せてくれた。表紙には『風雪』と題名が書かれてある。満州開拓団に参加し、日本に帰国した人々の思いが綴られてあった。その中に、吉平さんのお父さんの記事が掲載されていた。

木内さんの父、賢三さんの記事


最後に、馬の話を聞かせてくれた。「台所の一角に馬小屋があった。馬は人間と同等、財産だから大事にした。私の家は、田んぼの代掻きで使ったり、荷車を引かせてたい肥や桑の葉を運んだ。餌は田んぼの土手の草を刈って食べさせた。冬の干し草にするやつは、確か8月1日に、馬越や本間からも上って来た人たちと、一斉に草刈りをしたですよ。」
昔は、米100俵、蚕100貫取れば、充分暮らしていけたという。人、馬、自然が近い関係の中で暮らしが成り立っていた。吉平さんの話から、大地にしっかりと足をつけて生きてきた人生の一端を垣間見ることができた。

吉平さんが作った土の室(ムロ)

写真は、実際の土の室(ムロ)。越冬用の野菜を貯蔵する。中に入ってみるとひんやりとした。コンクリートで作った室は野菜が凍みて駄目だという。


文・西村寛

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