見出し画像

御物作りとお正月に関わる行事  馬越 井出利松さんのお話

中部横断自動車道、八千穂高原インターを降りて八千穂高原方面へ向かい、国道299号を左手へ曲がってすぐの集落「馬越」。そこにお住いの井出利松さん(78歳)にお話を伺いました。

馬越での御物作り

町で資料として使ってもらえるのであれば、と「御物俵おんものたわら」を持ってきてくださった利松さん。平成25年に、同じ馬越の中山登さんが生前に作ったものだそうです。
「これはヒノキかもしれないが、うちでは『ヌルデ』を使っていたんです。」と、話が始まりました。

「ここら辺では、1月2日に仕事始めといって御物作りの木を切ってくるんです。そして、御物作りそのものをするのは、14日かな。小正月(15日)に供えるものだから。14日に作って神棚にあげるんです。その時に、こういう半紙に書いて一緒に奉納する。」

馬越では、ヌルデの木を切ってくる『仕事始め』は、1月2日。御物作りをするのは、1月14日。そして、半紙に「奉納御物」などの言葉を添えて御物と一緒に神棚に供え、玄関の方にもお札を書いて供えたそうです。

「御物作りっていうのは、五穀豊穣・家内安全を祈願するんです。うちでは、すき・鍬とか俵、刀、花を作ってね。花は、木を4つに割って削ります。冬は花がないから作ったのかなと思うんだけど。」と教えてくださいました。

中山登さん作の御物の俵


にぎやかだった1月の神棚

14日に作った御物は神棚へお供えをし、その隣には、繭玉を飾ったそうです。今でも佐久穂町内の保育園では、小正月の行事として繭玉作りをしています。上新粉で作った白やピンク、黄色などのお団子を柳などの枝に刺して飾ります。

「うちでは神棚も臨時に作ってね。常設の神棚と、お正月のと。あとは、2日に子どもが書く、書き初めなんかも飾ってね。近所に子どもがいると交換して持ってくるんです。」と、教えてくださり、近所での子どもの書き初めの交換までされていたそうで、当時のご近所付き合いの温かさを感じました。


1月に八千穂保育園の年長児が作った繭玉のかざり。桜の木の枝を使っている。


御物作りにも関わる「かんがり」

御物のお話の途中で「かんがりってご存じですか。」と利松さんに聞かれました。1月7日に行う「どんど焼き」とも呼ばれる行事で、馬越では「かんがり」というそうです。

利松さんが子どもの頃までは、小学校1年生から中学校3年生までの子どもたちで、区有林から木を切り出し、8メートル程のやぐらをたてて行っていたとのこと。

「中学3年生がリーダーの親方で、男の子だけが従事するんです。馬越の公民館に私がリーダーだった時の写真がありますよ。」と利松さん。この時が、子どもたちで作った最後のやぐらで、子どもの数が減ってきたため大人が作るように変わっていったそうです。

子ども達が組んだやぐらの中には、藁や豆殻などの乾燥した『アンコ』と呼ばれるものを詰め、そこへお正月飾りの松などを落ちないように縄で巻いておさえていきます。縄との間に書初めもかざりました。馬越では、かんがりの日の朝、各家の前にアンコになるものや、お正月のお飾りを出しておくと、子どもたちが集めました。

火が付くと、上昇気流に乗って書初めが宙に舞い、その様子から書初めが高く上がれば、書道の腕も上がると言われていました。また、やぐらの真ん中に竹の芯を入れておいて、燃やした時にパンパンと大きな音が鳴り華やかさを増していました。

かんがりでできた灰は、8日の朝、子どもが『こしご(びくのような腰ひもがついた籠)』に入れてもらって帰り、御物作りで作る刀と合わせて「ヘビもムカデも」という行事に使っていました。


利松さんが親方だった「かんがり」のやぐら。大きなやぐらだったことが分かります。


子どもの行事「ヘビもムカデも」


「ヘビもムカデも」は、八千穂村誌によると、「二十日正月には、住所内に侵入しているヘビや、田畑を荒らすモグラや鳥などを追い払う行事が行われた。」と記載。

利松さんが子どもの頃は、御物作りで作った刀を神棚から下して、かんがりの灰を家の周りに撒きながら
「ヘービモ ムカデモ ドウケ ドウケ オウラハ カジヤノ メイモクダ ヤリモ カナタモ サシテキタ ドウナカ キラレテ ビリツクナ」と歌ったそうです。

<利松さんの歌う 「ヘビもムカデも」>

利松さんは、「昔の家はヘビやネズミもいるから、家の中でもヘビが梁から落っこちてきたって言う話を周りの人に聞いたことがある。だから、そのヘビやムカデに灰をまいて入るなってやったのかなと思います。」と、当時聞いたお話を交えて「ヘビもムカデも」のお話をしてくださいました。

子どもの頃に行っていた行事を残したい

利松さんは、現在八千穂高原のガイドをされており、地元を愛していることが言葉の端々から伝わってきます。きっかけは、40年ほど佐久穂を離れて関東でお勤めされた経験が大きいそうです。

「伝統っていうか(集落の行事は)大事だと思っていました。さらに、仕事で佐久穂を離れていたんです。だから余計に愛着があったんですね。離れると、地元を思い出すだに。転勤して歩くと、こういう地元の行事を残さないとって思ったね。」と話してくださいました。

利松さんのお話を聞いて、お正月の書初め・かんがり・御物作り・繭玉・ヘビもムカデもと、様々な行事について知ることができました。今も町内で残っている行事もありますが、なくなってしまった行事や縮小されているものも多くあります。貴重な町内の行事を残していきたい、子どもたちにも経験してほしいと思いました。

文:川嶋愛香

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?