その家によって引き継がれたやり方がある家の行事
昨年度、「今の人たちは知らないだろう」と教えて頂いたお正月行事。「興味をひかれつつもよく分からなかった。」という経験から、今年度はそのやり方や行事の思い出話をお伺いしています。また、文章だけだと伝わり難い作り方を、動画という形で残したいと思っています。
今回は、町内の方に伺ったお正月のお話をご紹介します。(ご本人の希望で名前の掲載は控えています。)
そのお宅では、門松や、モノヅクリの作り方はお父様から教えてもらったりしたそうです。お正月の行事や飾り等は、家によって異なっていたと教えていただきました。
正月準備
年末に神棚を飾るために十二注連(じゅうにしめ)を作りました。十二注連とは、ごぼう締めに紙垂を12本つけ、左右6本ずつに分け、真ん中に昆布、大豆の枝、堅炭を水引で縛り、そこに松の枝と、先にはみかんを刺したものだそうです。
門松も用意していました。薪を切って束ねたものを台にし、きれいに皮をむいた松2本を芯にして作りました。「松は芯を使っていた家もあったけれど、松の成長を考えて枝を使いましょう、と枝を使うことが良しとされていた。」そうです。今のことだけでなく先のことまで考えて作っていた様に先人たちの自然に対する思いやりを感じました。
御物作り(おんものづくり)
書き物
「親父の代は、下にわら半紙を敷いて、お正月にお供えを神棚などにしていた。それを7日に下ろした後取っておいて、モノヅクリの時に使った。墨で『万御物作(よろずおんものづくり)』や『家内安全』『五穀豊穣』と書いていた。もう60年もやったことないから忘れちゃったけど、味噌部屋の壁に貼ったもんだ。少なくともうちじゃそうだった。」と物を使い捨てるのではなく、大切に使っていたことがわかるエピソードを教えていただきました。
こめのはな
昭和30年ころまでは「こめのはな」という、木を薄く削って花のようにするものを、近所に作れる人がいて、門のところに飾ってくれてた。どこの家でもやっていたもの、というより個人でできる方がやっていたそうです。
ヘビもムカデも
白膠木(ぬるで)を切って、持つところ以外の皮をはいで刀のようにしたそうです。男の子女の子関係なく、家のきょうだいたちが腰に佩いて「ヘービもムカデもどーけどけ」と歌いながらゆっくり家の周りを歩いて回りました。うちには来るな、というおまじないのようなものだったそうです。
まるめ年
オマイダマ(米粉を蒸かしたもの蚕の繭の形にし、柳の枝に刺したもの)を作って天井の梁(東西南北の四方)に飾りました。「当時は天井は高いし、部屋も12畳とか広かったから大きかったよ。柱にわらとかで括り付けて飾った。ほかにはお墓や井戸、トイレなどにも飾った。トイレには小さい(太さ2cm位の柳の枝、長さ1m)やつを作った。縁起を担いだお祓いみたいなものじゃないか。」とのことでした。
飾った後のオマイダマは「おっかさんが取ったのをゆで直してお汁粉にするとかして食べた記憶がある」そうです。
詳しく話を聴き、想像よりも出来上がりが大きくて驚きました。それらを毎年作るのは大変だったと思いますが、さぞ華やかだったのではないかと感じました。それだけ新しい年を迎えるということが一大行事だった当時の風景が浮かび上がってきました。
みなさんのご家庭では、どのような事を行っていたでしょうか。家ごとの特徴を、家族やご近所などで話してみるのも楽しいかもしれません。
文 永井
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