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頭無(かしらなし)こぼれ話

冬の手仕事

井出直枝さんは、10年位前から農閑期である冬の間、家にある古着を裂いて布草履を作り始めた。
「足にいいと聞いたからね。私は風呂上りに履いているよ。2、3時間もあれば一足できるからね。年寄りにあげると喜ばれるからたくさん作ったよ。」
直枝さんより上の世代の人たちは、わら草履を編んでいたという。手先の器用な直枝さんは、手編みのセーターも編む。


消えた山道

井出啓治さんや井出直枝さんの世代は、子供の頃、山道を通って大石や柳沢まで行ったという。
「人が通れるくらいの細い道がいくつもあった。中央区にあった八千穂南小学校には、その道を通って行った。冬は日が暮れるのが早く、明かりもない暗い山道を通って家まで帰って来た。今考えると、どうやって帰ってこれたか分からない。」
と、井出直枝さんは懐かしそうに教えてくれた。
「母親は東京もんだったけんど、夕方でもその山道を通って、下(しも)の清水町まで、買い物に行ったことを覚えてます。」
教えてくれた山道の場所に行ってみたが、今は、草ぼうぼうで道があった痕跡はまったくない。

電柱の脇に山道があり、大石まで行けた。

この小屋の脇の道は柳沢に続いていた。


頭無の由来

開拓に入る前からここは頭無と呼ばれていた。誰もその由来を知らない。いろいろな説があるが、総じて良いイメージはない。唯一、井出恭平さんが小学生の頃、「先生が、頭無の由来はこの場所を見渡しても平坦な山ばかりで、尖った山の形がないところから名付けられたと教えてくれた。」なるほど、この説明なら悪い気はしないので、私はこの説を支持したい。

文・西村寛


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