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馬越区 御嶽講の春祭り

佐久穂町には、「講」という同じ神仏をまつったり、本社に参詣したりすることを目的として結成された団体があります(『八千穂村誌』より)。
今回は、馬越区で現在も行われている「御嶽講おんたけこう」におじゃまさせていただきました。
今年度の当番のみなさん、ご参加のみなさんにお話を伺いました。

現在御嶽講の講中(参加する家)は、8軒。講の結成当初は、15軒あったそうです。
毎年、当番が3名で行っていましたが、今回から、4名当番で行うことに。
当番の家に回ってくる御嶽講の資料によると、明治6年(1873年)に講が結成され、明治16年(1883年)に、馬越集落東南の小高い山に御嶽山神社を主神に、八海山神社と三笠山神社の石碑を建てて祭っているそうです。

左:三笠山神社 中央:御嶽山神社 右:八海山神社

御嶽講のお祭りは、春祭りと秋祭りの2回。今回は、春祭りです。
春祭りは、当番のうち1人を「宿」と呼び、宿にあたる人の家でお祭りを行っていました。近年、家の作りが変化していく中で平成20年からは馬越公民館で行っています。

春祭り当日、馬越の公民館を訪ねると当番の方と、講中の女性陣が準備をされていました。
公民館の広間には、すでにお飾りがされていました。
一番奥に掛け軸が3幅ありました。これは明治時代に、木曽の御嶽山を参拝した時買ってきたものだそうです。

掛け軸の前には、注連縄が張られ、おんべが3本。その前には、荒神様(こうじんさん)と呼ばれるお飾りが3本。そして、その日の朝についたお餅3つがお供えされていました。
最近では、餅つき機を持っている家庭も珍しくなってきたので、お餅は町内の商店へ注文するのですかと伺うと、「お供えしたものは、焼いて食べてはいけないんです。時間が経つと硬くなるでしょ。だから、食べやすいようにその日の朝つくんですよ。」と教えていただきました。

3幅の掛け軸、注連縄、荒神様、お供物

続いて、台所にいらした女性のみなさんにお話を伺いました。最近は、当番だけでなく講中すべてのお宅の女性の方で食べ物の準備をするそうです。
大きなお皿に、尾頭付きのお魚(イワシ)・煮物・ポテトサラダなどを盛り付け、鮭の焚きこみご飯、お吸い物を用意します。昔は、講中の人数も今より多く、宿にあたると自宅で行うものだから、大変だったそうです。また、昔の家の作りは、襖を取れば宴会ができるような作りだったことや、茶碗や汁椀、湯呑、皿などが沢山あったけれどと、生活の変化についても話題にあがりました。

そんなお話を伺っていると、講中の当番ではない家の男性方も公民館に集まって来られました。
まずは、みなさんで自宅にお祭りする荒神様を作るそうです。

荒神様作りは、半紙を折り、カッターで切り込みを入れます。
切り込みに沿って左右に折っていくと、おんべの形になります。
それを、2本作り竹の棒へ挿し、水引で止めます。
それを3本作ると、1体の荒神様になるそうです。

皆さんで作り方を確認しながら進めていかれる様子がとても暖かい雰囲気で、集落での暮らしの良さを感じる一コマでした。
作りながら、「今は8軒分だから、全部で24個作るだけだけど、以前は、馬越や近くの集落(大石や八郡)の家から依頼されて100個以上も作ったんだよ」とお話も伺いました。

講中のみなさんのお宅では、荒神様は神棚にあげる(供える)そうですが、火の神様だから昔は台所へあげることもあったそうです。

また、屋敷神様といって、荒神様よりも一回り小さい同じ形のものも作り、一つずつお庭に祭られるそうです。

できあがった荒神様・屋敷神様は、掛け軸の前にお供えします。
お盆に半紙を折って敷き、その上に置いていくのだそうです。

できあがった荒神様。中には、荒神様用に木を用意されているお宅もありました。

荒神様を作っている間、女性を中心に祝宴の用意も進み、最後にお神酒をお供えします。
準備ができると、参加者全員が参拝をします。

お供え物。参加者も同じものを食べて祝宴をする。

みなさんが参拝中に、「参拝をすることで荒神様に神様が入るらしいんだよ。」と先代からの教えも伺いました。

長老の乾杯で始まった宴会では、美味しいご飯とお酒をいただきながら、みなさんの近況や集落の様子に花が咲きます。「こういう席も大切だよね。」という声も。
御嶽講がみなさんの交流の場にもなっていました。

楽しいお話は、10年程まえに有志で登った御嶽山の話題に。講中の方以外にも馬越区全体で有志を募って御嶽山へ参拝のために登山をしたそうです。参加者には80代の方もいらしたそうで、驚きです。

宴会の後は、お供えしていたお餅(ごふうと呼ぶ)と荒神様を持って帰ります。平成の頃までは、依頼されたお宅の荒神様と自宅の物をお盆へ載せ風呂敷で包んで帰ったそうです。

後片付け後、当番のお一人、井出さんの案内のもと、石碑のある山へお参りにいきました。
公民館から徒歩3分程山道を登っていくと、鳥居が見えてきました。

秋のお祭りの際に、草刈りや注連縄を作り直したり、石碑をきれいに洗ったりするそうです。何度か訪れたことのある馬越の集落にこんなに立派な石碑があることにとても驚きました。

神社の前の鳥居

宴会中に「馬越も限界集落だから」と話題になったり、御嶽講の方法が見直されたお話も伺ったりしました。「いつまでできるか分からないけど」と、おっしゃりながらも「できるうちはね。」と話される方も。コロナ禍で、今までの行事が中止になりそのまま辞めていってしまう行事がある中で、存続の方法を探しながら続けていかれる姿がとても印象的でした。
御嶽講を結成された当時のご先祖さまのように、今も講中のみなさんの中に信仰心や地域のつながりを感じました。
お忙しい中、お祭りに参加させていただき、御嶽講のみなさま、ありがとうございました。

文:川嶋愛香


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