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(創作)ドライベルモットとあのときの舌ざわり。

 エッセイを書こうと思ったら、フィクションになってしまいました。だからこの文章はウソの文章だけど、あるいはホントの文章でもあります。それはそのときの記憶とか事実とかではなくて、おそらくそのときの感情みたいなものです。自分でもよく分かりません。いつまで続くかな。とりあえず、綴ってみます。


 バーに行くとき、どうしても飲みたい酒がある日もあれば、むしろマスターに決めてもらいたい日もある。

 その日は一軒前の居酒屋でおでんをつまみながら赤星の中瓶を飲んでいて、そろそろなにかしらしっかりとした蒸溜酒を飲みたかったけれど、鼻は爽やかさを求めていたし、舌は軽やかな刺激を求めていた。甘い必要はない。ウイスキーでもラムでもない。うん、今日はジンのソーダから始めよう。だけど、なんのジンにするかまで決められない。悩んでるうちに一杯飲みたいくらいだ。よし。
 「すみません、ジンのソーダをおまかせでください。ライムとかは入れなくて大丈夫です」。
 マスターの謙一さんは微笑みながらうなずく。わたしが隣にいた常連の客と簡単な世間話をしていると、謙一さんがロングカクテルに入った透明のお酒を出してくれた。「はい、どうぞ」。
 ひとくち飲む。爽やかだ。そして冷えすぎず強すぎない炭酸が心地よい。これがバーで飲むおいしいお酒だ。そう、わたしは作るひとの顔も見えないようなチェーン店で出てくる、凍るほど冷えていて、爆発するほど強い、あの暴力的なチューハイがいちばん苦手だ。あれでは酒の味もひとの味も分からない。もっとも、そういうお店へ行くときにわたしたちが求めているのはアルコールであって、酒のなかに潜む繊細さではないのだけれども。それと比べて、このジンソーダには求めていたものがある。居酒屋からバーへと移る1杯目にふさわしい、気取っていないお酒。とはいえ、きちんと強かさも持っている。うん……ん?飲み終わったあとにふっと、異なる香りが漂ってきた。最初にキリッと来るジンの涼しげな表情のあとに、おしとやかで、でも華やかな輝きがちらつくのだ。なんなんだこれ。はじめて口にする味である。
 「これなんのジンですか? 知らない味がします」。
 わたしがそう言うと、謙一さんはにやりとする。「ジンはふつうにゴードンズだよ。でもね、今日は最後にちょろっとベルモットを入れてみたの」。
 ベルモット。そんなもの、わたしはショートカクテルでしか飲んだことのないお酒だ。まさかロングカクテルに入ることがあるなんて。わたしは完全に面喰らいながらも、心地よい酔いの始まりを迎えた。

 ベルモット。それが活躍するお酒といえば、やはりマティーニである。カクテルの王様と名高い、マティーニ。

 あれは7、8年前、たぶん大学生2年生くらいの頃だったと思う。その当時わたしには憧れを抱いている女性がいた。おっとりとしつつも、骨の通ったことを言うひとだった。茉莉花という名前の彼女には、その花が輝く季節である夏を思わせる健康さと、しかしどことなく漂うアンニュイさがあった。それから茉莉花さんは、二十歳そこらのわたしにとっては初めての博多弁のひとで、わたしはあの、音と音のあいだにあるあでやかな響きに魅了されてしまった。付けている香水も素敵だった。ともかくひとことで言い表せない、奥行きのあるひとなのだ。
 茉莉花さんはふだん地方に住んでいるのだけれども、たまたま東京へ来る機会があって、およそ1年ぶりに会うことになった。夏も終わりに近づいたころの夜だった。わたしはドギマギして、どうすれば良いのかも分からず、まずはふたりで池袋にある家系のラーメン屋に行った。いま考えるとあまりに滑稽な選択である。でも、人気店ゆえ30分ほど並んだから、そのときにいろんな話ができた。若者のわたしにはそれが嬉しかった。
 ラーメン屋を出ると、時計は20時過ぎを示していた。わたしは「このあとどうする?」と尋ねた。茉莉花さんは「もうちょっと一緒にいたいね。バーにでも行って、マティーニでも飲みたい」と言った。でも二十歳そこらのわたしは、池袋のバーなんて、まったく知らない。焦った。あまりに焦った結果、すぐ視界に入ったコメダ珈琲に入ることにした。そのあとのことはもうあまり覚えていないけれど、目の前の茉莉花さんのことに集中できず、なんだかずっと後悔していた気がする。

 そのとき、もちろんわたしは「マティーニ」というお酒の存在は知っていた。それは、村上隆なんかの小説に出てくる気取った男が飲んでいるカクテル、そんなイメージだった。

 わたしはそのあとどうしても「マティーニ」が飲みたくなった。でも、知り合いといるときにマティーニを頼むなんて、そんな気恥ずかしいことはできない。たまたま仕事で宇都宮にいるとき、たまに行くカフェバーのようなところで、ドライベルモットが置いてあるのを見つけて、わたしはマティーニを頼んだ。ぽん子さんという30代半ばの素敵な女性がひとりで切り盛りするそのお店は、地元のひととバックパッカーが集う不思議な空間で、わたしのお気に入りの場所のうちのひとつだ。
 「あら、○○くんは、若いのにおしゃれなお酒飲むんだねえ、さすが東京のひとは違うなあ、あ、こんなこと言うとわたしが田舎ものみたいか」
 ぽん子さんがそういうと、常連のおじいさんが「ぽん子さんも東京に住んでたんだから、田舎ものとは違うよ」と言った。ぽん子さんは笑いながら、マティーニを作ってくれた。気取ったわたしは、マティーニに入っていたオリーブを口に入れて、くっと飲んだ。うっ。はじめてのマティーニは苦くて、強くて、そこにはとても茉莉花さんのような繊細なうつろいが感じられなかった。わたしはいたたまれない気持ちになって、すぐにお会計をして逃げるように出て行った。

 それから半年ほど経ったときだろうか。その頃にはわたしにも馴染みのバーができていた。仲山さんというおじいさんがやっている、暗くて小さなバーだ。あるときわたしが冗談半分で、はじめて飲んだマティーニがとても飲めたものじゃなかったというと、仲山さんはこう言った。「お前はまだ甘いような酒しか飲めないんだからさ、それならパリジャンがいいよ」と。わたしは少しむっとしながら、「じゃあ、そのパリジャンというお酒、くださいよ」と言う。
 仲山さんが出してくれたパリジャンは、ほんとうにおいしかった。マティーニはドライジンとドライベルモットで作るショートカクテルだけど、パリジャンはそこにカシスリキュールを加えたものだ。カシスの入ったパリジャンは赤らめた色のカクテルで、薄暗い店内のなかで、妖艶な輝きを誇っていた。苦味と酸味を、やさしい甘味が包み込む。わたしが想像していた、茉莉花さんのカクテルの味が、ここにあった。
 「おいしい」
 わたしがそう言うと、仲山さんは「当たり前だ」というような顔をしてこっちを見ていた。7年近く昔の記憶だけれども、なんだかあの顔だけは、妙に記憶から消えていない。

 謙一さんのバーに行った数日後、家で缶ビールを開けたわたしはなんだか飲み足りなくて、家にあるジンとベルモットを使って、あのジンソーダを試みてみた。そう、なぜか我が家には、買ったけど全然使っていなかったCINZANOという安いドライベルモットがあったのだ。ステアしてくっと飲んだけれども、なんだか味が違う。あのときのほんのりとした香りみたいなものがない。もちろん、お酒が違うのだから当然だ。あ、そういえばうちにはカシスもある、そう思い出して、酔っ払ったわたしはシェイカーに目分量でジン、ベルモット、カシスを入れて、シェイクした。これで、あの日のパリジャンが再現できる。なんだかとっても楽しくなって、ジャカジャカと振った。カクテルグラスに、そのとろっとした赤い液体を注いで、飲む。シェイクしすぎて少し水っぽくなったそのお酒には、わたしが求めていた妖艶さはなかった。

 わたしは思う。あのときぽん子さんが作ってくれたマティーニも、あのとき仲山さんが作ってくれたパリジャンも、あのとき謙一さんが作ってくれたジンソーダも、そして茉莉花さんが思い描いたマティーニも、わたしはもう2度と口にすることができない。お酒の味は変わり続ける。そうやってこぼれ落ちるいろんなことは、そのときに味わうことしかできないんだ。

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