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メルニコフと交響的なまなざし

 トッパンホールにて、アレクサンドル・メルニコフのピアノリサイタルを聴く。シューマンの交響的練習曲を中心に、まさに交響的な作品が、交響的な演奏によって繰り広げられる。たとえばラフマニノフの第1変奏、高音域で奏でられるバロック的な単音の羅列の途中で、いかづちのように放たれる低音の一撃は、まるでひと昔まえのドイツのオーケストラのコントラバスのように、激しい初速でもって旋律よりひとコンマ早いタイミングで奏される。自由にたゆたう旋律と、待ちきれずに放たれる低音。これをひとりの人間のうちでやることは簡単なことではないはずだ。ここで生まれた関係性はオーケストラを思わせる。
 しかし、オーケストラを思わせるアンサンブルを見ただけで、わたしはこれを交響的な演奏だと感じたわけではない。はたして交響的とはなんだろうか。少なくともそこには複数のひとが必要である。あるときには公共的だとも言われたりする。すなわち、ひらかれているということこそ交響的なのだと。壮大で、多彩な音色を持っていて、そこにはひとつの民主的な社会がある。
 たしかにこの演奏にはそれらの要素も詰まっていた。パッセージの描き分けは驚くほど鮮やかで、内側で燃えたぎるように盛り上がった先には空間がぐっとひろがるように勇壮な響きがあらわれる。
 しかし、わたしがここで強く感じた交響的であるということは、むしろ、その逆にこそあった。観客のすべてを巻き込むように、内側にある一点に向かって閉じられてゆく瞬間が、何度もあったのだ。これこそが交響的なのである。ひとりの人間が見つめるピアニシモよりも、オーケストラの奏者のすべてが固唾を飲んで一点に集まるピアニシモのほうが、その眼差しが持つ数の暴力によって、より強力なエネルギーを持つ。そういった交響的なちからづよい弱音が、メルニコフというたったひとりのピアニストによって、このホールのなかにかたちづくられていく。非常にうつくしい時間であった。

3.13(水)19:00開演
トッパンホール

アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
シューマン:交響的練習曲 Op.13
プロコフィエフ:束の間の幻影 Op.22
ラフマニノフ:ショパンの主題による変奏曲 Op.22

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