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選択することは色をつけるということだ

前職の先輩から突然連絡があった
なぜかというと、その先輩が私が通っていた大学院に通学しているから
過去の修士論文文集から私のものを見つけたらしい

写真付きで送られてきたので、久しぶりに眺めたけど
あー、よく頑張ってたな
というのが一番の感想

仕事をなんとか定時に終わらせて、ダッシュして駅に向かい、なんなら乗り換えもダッシュして、着席
勤務後の疲労感+無事にたどり着いた安ど感で、何度舟をこいだことか笑

でも、社会人として通学した大学院
何が違うって、周りの学びたい意欲
私の通学した大学院は、社会人経験3年以上を必要とした
なので社会に出て、それなりに課題を見つけて、解決したいがために大学院に来る人たちばかり
なので、熱がすごかった
私ももちろん課題を見つけて決めたわけだけど、ギリギリ社会人経験3-4年目くらいで、あの中では若造もいいところ

当時、同期の方々の論文のテーマは、言葉として理解はできても、それを課題としてとりあげる背景がうまく飲み込めなかった
でも、年を重ねるにつれて、「あ、このことって〇〇さんが研究テーマに挙げていたやつだ」と気づくことが増えて

例えば「マインドフルネス」
10年くらい前は「科学的根拠がない」という位置にいた(と記憶している)
でも、同期の方がマインドフルネスの効果を測定する研究をしていて、比較的教授たちは否定的な意見だったけど、やりたいことをやり通す姿勢に、単純に「すごいなー」と感じた
そして、今自分も瞑想やヨガを通して、マインドフルネスの効果を実感している
すごいなー

そして、当時の研究テーマで一番気になるようになってきていることは「選択すること」を研究した内容だ
当時、「選択をすること」をテーマに取り上げる意味が正直全然分からなかった
「選択する?それは好きなもの、気になるものを選択しているだけで、研究しようと対象になるほどのものなのか・・・」と、なんとなくそんなことを感じていた

でも、人生が選択の連続だということを知り、選択の重要性に気づき始めている

あの選択をしたから今がある
よく使われる言葉だけど、本当にその通りで

今、自分が目指す働き方があって
それを実現可能なものにするために必要な知識や経験は自分の選択によって手に入れてきた
理学療法士になること
心理学系の大学院に行くこと
在宅医療の道に進むこと
・・・
きっと書ききれない選択をしていて、それらがすべて私を作っている

悩みに悩んで出した選択が正解なのかどうかはみんな気になるところだろう
でも選択が正解かどうかは、選択した時点では決まっていない

選択した道の先がつながっているのか、道がなくなっているのか
「どちらが正解か」という選択を追い求める時期もあったけど、
どの選択をしても、さらにいくつにも分岐して、いつまで経っても「正解」にはたどり着けないのかもしれない
そうではなくて、自分の進んできた道に色を付けて、「これが私の選択」なのだと胸をはっていける人生にしたい
後ろを振り向いたらカラフルだといいな

そんなことをふと思い出した夜でした
論文の細かい内容は忘れてしまったので、読んでみよう
当時は感じることができなかったことに気づけるかもしれない

#あの選択をしたから


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