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周期的にくるやつ

たまにくるんです、ズドーンとした重しみたいな感覚が
誰とも話したくないなー
何もやりたくないなーって
昨日夜から突然きて、いつも21時過ぎには子達を布団へいれるよう必死に動くのですが
すぐに動こうとしない子達をみて、怒る元気もなく、もういいやと放棄して私はゴロゴロ
幸い、夫が帰ってきて、子達を布団にいざなってくれたのですが

今回の原因は分かっていて、仕事で新しい業務が増えたから
夜間の対応が必要なもので
やはり人は睡眠が大事だなーと実感

今の職場に転職してから最初は本当ペースに慣れなくて、もう帰宅すると疲れがズドーンとして、こうなってたなと
なので、今回の業務も慣れてくるとは思うのですが、規則正しい生活の必要性を実感しました

つまりと向き合う

先日の21日間チャレンジを通して、自分の強みや情熱の源、ミッションやビジョンがうっすーらと見えてきて
いま、扉の前にいる感覚

あとは扉を開ければいいだけなんだけど、どうしてもそこに勇気が必要で
いつも、ここなんだよなって改めて感じて

今日はつまりと向き合ってみようと思い、ノートに思いのままを書いてみた

自分を出したくない

扉を開けない一番の理由はここ
自分を出したくないのだ

本当に矛盾しているなと自分でもずっと思っているのだけど、
「自分らしさを使いたい」という思いを持ちながら
「自分を出したくない」感覚が一緒について回る

だから、いくら思いに気づいても
いくら言語化できても
それを行動にうつせない

なんで自分を出したくないのか
なんとなくは分かっていたのだけど、言葉にしてすーっとなった

目立つことへの恐れ

高身長だったことが一番だけど、何かと目立ちやすかった
中高では友達でなくても、なんとなく知られている感覚があった
でもそれはポジティブな意味だけでなく、
好奇な目で見られている
というあまり心地よくない体験も伴った

「人見知り」というラベリング

物心ついたときから、知らない人と話すことは苦手だった
おそらくちょっと敏感なタイプの子供だったのかもしれない
人混みは得意ではないし
たくさんの人と話さないといけない場は特に苦手だった

おそらく人との距離感をうまく測れないということかなと考えている
1対1で深い話をするのは好きだけど、
グループの中で「自分の話すタイミング」とか「自分の話した内容への反応」など気にしながら話すことはとても難しく感じた

自分で言うのもなんだけど、根がまじめというか
軽い言葉がうまく言えないのだ
なんでもしっかりと答えなきゃ、100%で考えなきゃと思ってしまう、つまり重めなコミュニケーションになってしまう

それを「人見知り」と表現されることが多く、その言葉に自分を近づけようとしてしまい、どんどんその特性を強めていった気がする

完璧主義

何事も始めたらしっかりと終わらせないといけないと思っている
始まりがあれば終わりがあるのは当たり前
黒白はっきり、グレーってなに?という性格

なので、「やってみたいなー」「気になるなー」に対して、踏み出したいけど、踏み出したら止まってはいけない、ちゃんと終わらせないといけない
そんな気持ちがあるので、軽い気持ちでトライできない

踏み出したら最後、みたいな感覚もある


こんな理由たちを並べて、自分を出したくないのだ
まだまだ、まだまだだよ
ここを勉強してから
これができるようになってから
そうやって、扉までの道を遠く遠くにしてしまう


認めてくれる人たちと過去の自分の存在

そんなことを考えていて、ふと気づいたことがある
「あぁ、でもなんか、申し訳ないな」と

何が申し訳ないのかというと、
「認めてくれる人たち」と「過去の自分」への申し訳なさ

「まだまだ」と思っている自分に対して
「あなたなら大丈夫」「今のままでいい」と声をかけてくれる人がいる
そんな人たちの「自分を認めてくれた事実」を否定してしまうことになる

そして、今まで「自分を成長させたい」と頑張って勉強、経験してきた過去の自分を否定することになる

私が今の自分にGOを出さない限り

そんなことに気づいたら、やっぱり怖くても、出したくなくても、自分を出すしかないのだろうなと感じた
もう、そうするしか、自分らしく生きることはできないんだと思う

あきらめる

そして、今、私はあきらめの境地にいる
もう、そんな自分に降参するしかない
出したくないけど、出すしかない

そろそろ自分を出さずに自分らしく生きることをあきらめようと思う


そんなことに気づいた、土曜日の夕方
明日もきっとワクワクで満ちている

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