秋晴れで過ごしやすい1日でした
爽快だからこそ、思考はちょっと重めに
私の頭の中を占める大きな2つのうち1つの記事です
モヤモヤポイント
最近、記事の中でもちょこちょこ書いていますが、母とのやりとりでモヤモヤすることが多いです
前からもやっとぐらいはあったのですが、ここ最近、目に見えてモヤモヤするなと
自分らしく生きると向き合い始めてから、色んな言葉に触れたけれど、本当にどんなところでも出会うのが母との関係性という部分
最初に聞いたときは、「これといって悪くないしなー」だったのですが
最近気づいたんです「実は気になっていたことは多かったけれど、なかったことにしていた」のだなと
ただ、おそらく色んなやり方で自分との向き合う過程で、その部分への感度が増したのだと思います
むしろ、今までは感じないように感度をめちゃめちゃ低く設定してたのが正常値に戻ったのかも
言い方悪いですが、やたら言葉が耳につくのです
反抗期はいつぞや
で、母との関係性、気になるポイントなど、自分の中で考える時間が増えてふと気づいた
私は反抗期いつだったかなと
親のレールの上で育ってきた、という感覚はなく、基本的に自分で選択して進む方向を決めてきた
でも、よくよく考えたら
自分で選択するための、判断軸がそもそも親の影響を多分に受けているんですよね
なので、自分で選択しているつもりでも、実は親の意向に沿っていた部分もあるのかもしれない
ここまで特に大きく荒れることなく、進んできました
そして、一瞬一人暮らししてましたが、基本的には結婚前まで実家にいた
そして結婚してからもまぁまぁな頻度で会っている
たぶん、物理的な距離が近かったのだろうと思います
家族のバランスの変化
結婚して子供を産んでというプラスのバランス変化では大きく影響なかったのですが、
ここ数年、身近な存在が亡くなる機会がそれなりにあり
母との物理的な距離感や家庭での役割も自然と変化していったのだと思います
さらに、冒頭に述べた自分と向き合う中で感じた私自身の変化も相まって、母に対する感情や態度が変化していっていたのかなと感じました
そんな環境的な変化を経て、自分と母との関係性が今までと変わっていく中で、ふと気づいたのです
もしかして、遅れてきた反抗期なのではないか、と
意識して「いい子」でいようとしたわけでもないけれど、
無意識に「私に求められるもの」を提供していた気はします
といっても、それは親が私をサポートしてくれていることも十分に感じていて、私の中では give and takeの感覚だったのかなと思います
でも、今、なんだかgiveをするときに重く感じる
なんならtakeいらないし、とか思うわけです
恥ずかしながら親孝行するような年齢になって、反抗的な態度をとってしまう
許しの瞑想
私の見ている動画の中に、そんな種類の動画があります
今まで、分かっているようでわかってなかったのですが、今日、ここまでの文章のような思考をしてから行ったとき、その瞑想がとても響いたのです
心の奥底に落ちたボールを拾ってくるような感覚
あ、これ、今必要なやつだ
と直感的に感じました
じゃあどうする
今は、ようやく最近のモヤモヤを整理できたので
思考から行動へは落とし込めてません
でも、この気づきを経たからこそ、動ける次の行動があるのだと思います
ここはちょっと意識してみようと考えています
で、冒頭に書いた、頭を占めている2つのうちのもう1つ
こちらも言語化できそうなのだけど、長くなりそうなので、また次回に書いていこうと思います
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!!
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