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祝日

性格が変わったな、と思う。自分のことだ。
一番強く思ったのは、昨年末M-1グランプリを見ていた時のこと。
僕より熱心な方もたくさんいらっしゃるだろうが、僕は結構お笑いが好きで、M-1グランプリは毎年欠かさず決勝戦観ているし、昨年は昼過ぎからの予選もテレビ前にかじりついた。

毎年お酒を入れながら、友人と対面やオンラインでリアルタイムで審査の行方を予想する。
最終審査の時には相当酔っているし、熱も入っているものだから、審査員一人一人が誰に入れたか、名前が表示されるたびに、あー!とか、うわー!とか、叫んでしまう。

昨年も、そうだった。ヤーレンズさんと令和ロマンさんの一騎打ち。
最終票の松本人志さんの結果次第で全てが決まるという、大変ドラマチックな展開だった。
結果、令和ロマンさんが優勝を果たした。

僕が最終決戦のネタを見て、どちらに予想していたかは、ここでは大事なことではないので省くけど、僕が言いたいことは、かつての僕ならば、この接戦の結果をどう捉えるか、真剣に議論したくなったであろうということだ。

怖いほどに想像できる。
二十代前半の僕は、SNSを見て、審査に納得がいかない人たちのコメントをチェックしたり、一緒に見ていた友人が、予想が当たったか外れたか、そしてなぜそちらに最終審査を下したのか、はては審査員の審美眼は果たして正しかったのかさえ、議論していただろう。

昨年の僕は、どちらが優勝しようと、割と本当にどうでも良かった。とにかく面白い漫才が見れて幸せだったし、こうして勝負の土俵に乗って戦っている人たちに敬意を抱いていた。

二十代前半の僕は、あれはなんだったのだろう。何を、もがいていたのだろう。
今の僕は、冷静に突っ込める。
「そもそも自分、お笑い芸人目指してるわけちゃうのに」


他にも色々と、考え方は変わったように思う。

読書や映画鑑賞は、創作を始める前から好きなのだけど、その時に戻ったような感じ。今やインプットという感覚さえ無いし、あまりこの言葉は好きではなくなった。

仕事やプライベートにおいて、相手と意見が割れた際に、答えを急がなくなった。
いつも、冷えた頭でまた話そうぜという気持ちで生きているし、長期戦に慣れてきたような節もある(正念場は別だけど)

野球においても、打てなかった選手やエラーした選手よりも、四球を出してはいけないところで、まごついて四球を出す投手を良くないと思うようになった。

かつて指標に掲げていた考え方を変えていくのは、もちろん不安もあるけれど、僕はこの数年、とにかく日々、変化と学びの連続だ。生きているという感じがして、悪くはない。ちょっと、疲れるけど。


もう一つ、僕が大きく変わったことがある。
物書きの友人が増えたのだ。

これは特に、かつての僕ならば考えられなかったことだ。

創作活動に当たって、脚本は何人かで組んだ方が良いとは学生の頃から思っていたので、かつて劇団をやっていた頃、丸山交通公園という、僕とは全く違った才能を持った人を誘って一緒に脚本を書いていたことがある。
しかし、それは利害関係をある種共にする関係だったわけで、要は物書きの友人、というのは僕にはずっといなかった。

できなかった理由はシンプルで、同業者へのライバル心や優越感、嫉妬心とどう向き合えば良いかわからなかったのだろう。

それが、二十代の終わりからパタパタと増えた。
一人は、小説家の中村航さん。大先輩なので、友人と書くのは憚られるけども、でも友人だ。


そして四つ年下の男性脚本家に、伊吹一さんがいる。
二年前に知り合い、今は一緒に野球観戦に行く仲である(二人とも阪神ファン)。

伊吹さんとは、たくさん話して、好きな映画の好みも、さして似ていないことはお互いわかっている。三谷幸喜さんを共通して挙げることがあるくらいか。好きなジャンルも、好きなご飯、好きな顔のタイプまで違う。
強いていうなら、法学部出身というところくらいか。

それでも職業としては、オリジナルの脚本を書くことが多い、という点で共通している。
ゆえに、何を発想の起点に脚本を考えるか、ということをよく僕たちは話す。時には夜明けまで話す。僕は感心してzoomを切る。


伊吹さんがオリジナル脚本を書いた映画「祝日」がまもなく全国公開だ。
自殺しようとした少女の一日を描く物語のタイトルが、「祝日」なのだ。
僕にはどうひっくり返っても思いつかない。

リリカルなのに野心的。
残酷なのに優しい。

世界を憂いながらも、いつか終わるであろう自分の人生の「今日」を、軽やかに、笑って生きる。そのたくましさと、切なさ。

その世界観は、本編のセリフや構成、主人公の物語の中にあるあり方のどれをとっても、伊吹さんにしか書けない豊かさを持っている。

僕は生まれて初めて、年下の物書きで、これからもずっとずっと読ませていただきたいなぁという人に出会えた気がするのだ。

そんな友人が、僕を変えてくれたのか。
それとも僕が変わったから、こんな友人と出会えたのかはわからない。
いずれにせよ、自分が変わって良かったとも思っている。
伊吹さんには感謝が尽きない。


全国にいる伊吹ファンのみなさん、
僕が羨ましいかもしれませんが、大丈夫です。映画から感じる伊吹さんのそれと、ご本人はほぼ同じです。
伊吹さんは、優しくて、笑いにも貪欲で、ショックなことにちゃんと落ち込む、頭の良い人です。
伊吹さんの映画やドラマを見れば、それはもう伊吹さんとお喋りしているのと、同じですから。


他にも、新しく知り合った数名の脚本家の仲間で、映画「君の忘れ方」の脚本チームを組み、今その仲間たちと、別の戦いの真っ最中であることは。
いずれまた。

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