Ⅰ のらりくらり――くらりのらり。のうのうと――うとうとと。 それは風前の灯火ともいえるもので、どうして自分が存在しているのか。 どうして生という名の道筋から未だ踏み外さずにいるのか、まるで分からなかった。 旧い記憶まで探りを入れてみても、あるのは凍原を吹き付ける吹雪の潔白と、冷気が尽く熱を奪い去ってゆく感覚だけ。目蓋の暗闇に映るのは、寒冷を湛えた雪原。 腫れ上がる霜焼けと、頼りない小さな手。臓腑が圧縮されたような飢餓。 感覚などとうに消え失せたボロボロの裸足。寒さをしのぐに
「……。」 橙の照明が薄暗い店内を照らしだし、彩色に富む様々な色の酒瓶が燦爛と輝いているのだろう。 一人、カウンターの奥でグラスを吹いている人物がいた。 カマーベストにネクタイを締めた若い女性だった。驚くことに、僕よりも遥かに若く見える。 僕を店内に招き入れたこの男とは違いきっちりとした身嗜みで、そしてどこか無愛想だった。 彼女はこちらを一瞥し、男に対して問う。 「……誰?」 「多分客っすよ」 「多分? ……なんで入れたの?」 「そりゃもちろん、なんか面白そうだからっす!」
1 家に帰るまでの事は覚えていない、といえば嘘になる。 しかし覚えてないといってもいいほどにその帰路は何も無い平穏で、ついさっきだって実は何も無かったんじゃないかと錯覚してしまいそうだった。 ……だが染みついた絶望は、確かに心の奥底に重く降り積もっている。 宛てなく彷徨うように、そして100日ぶりに帰ってきたのだ。 一人で。 鍵を開けて入れば、すっかり整理された玄関だった。 滞在する拠点が無いなんて理由で人の家に勝手に上がり込んで、かと思えば家をひっくり返す勢いで片っ端から掃
一 大切に仕舞っていたはずの,、色鮮やかなカンバスだった。 何処を見渡しても色彩で溢れかえった長く尊い物語のはずだった。 けれど目下、それがどうでもいいガラクタのように思えてしまったんだ。 途端画材が全て黒く変色して、どの色を塗っても黒く染まるつまらない絵を見ているのがこの上なく不快だった。 だから叩きつけて壊してしまった。 ガソリンを撒いて燃やて――烏有に帰す世界を眺めていた。 すると真っ白な骸骨の囁きが耳を掠めていって、握りこんだ価値観が波にさらわれる砂城の
※注意 ・本作はCoCシナリオ「不幸なヴィランは水晶に啼く」のネタバレを含みます。シナリオ本編通過後に閲覧することを『強く』推奨します。 Ⅰ 大きな壁にぶつかった時、その壁を乗り越えてゆくには時間とナメクジ程度の推進力が必要だ。 逆に言えば、それさえあれば乗り越えられない壁なんてない。 たとえどれほど巨大で絶望的な厚さのある壁だったとしても、時間と前に進むことが出来れば必ず壁は乗り越えられる。 そうだ。 俺はずっと、そんな虚妄を信じていた。 この辛さも苦しさ
注 ) 本作は前作【戦戦慄慄】の続編となります。 ――信念は決意へ。 研ぎ澄ました心象は、深淵の闇を切り裂く刃と化す。 待ち構える巨大な夜と蠢く陰謀。 行く先はきっと残酷な選択。 それでも構えた刃は――月光に鈍く煌いた。 12/21 19:34分発 ――線 ――行き 天候 曇り 気温 10℃ ――――。 ――――。 喧騒が街を支配する。 フラッシュバックしたかつての光景とは似つかない、あまりにも眩しく栄えた街の名は東京と言った。
――ただの押しつけだ。 ――ただの自己満足だ。 その本質はどこまでも自分本位で、渦巻いた理性の中にひっそりと隠した利己主義。 獣である枷は決して千切れることはなく、そして誰に解けるものでもない。 僕が人である限り、それはどこまでも付きまとい追いかけてくる。 逃げることはできない。 助かることもない。 縛られている僕達に、逃げ場などあるわけがなかった。 ……それでも。 何も知らない赤子の様に何もかも忘却して、幼い潔白な純心を抱いたまま眠っていられるのなら。 陳腐な身体を脱ぎ捨