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フルーツパフェ・シンドロームのための習作

01:LIME LIGHT

出会って十七年、〝親友〟になって十年、そして奴が”芸能人”になって七年らしい。
右手の中で光るスマホの画面には『ファンクラブイベント開催のお知らせ』というタイトルのメール。芸能活動七周年を記念した写真集発売に伴うトークイベントと握手会を開催することを、おめでたい感じの文面で伝えてくる。一応役者ということになっているからここまでアイドルめいた活動はデビューの売り出し期以来で、ファンたちには待望だろうな、と思う。まあ私には関係ない、全然。
高い背をぐっと屈めて、今は少し長めの前髪がはらりと目にかかるだろう。ややイカつい見かけにしてはわりに高く優しい声で「ありがとうございます」なんて言いながら着飾った女性たちと握手をしている様子を思い浮かべるだけで自然と笑顔になる――ああ、見にいってみたいな――でもそんなことは叶わないから、私は写真集がきちんと予約できているかだけを確認する。よし、大丈夫。ファンクラブ特典付きで発送されるそれのタイトルは『Lime Light』。有名な映画のタイトルから取ったんだと本人が言ってた。デビュー七年でそこそこの知名度、厳しい芸能界で単身頑張ってるほうとはいえ、チャップリンみたいな役者になりたいなんて随分おこがましい気もする。
そもそも、十五歳でデビューしてほんの最近まで学生役ばっかりで、まだまだ若手イケメン売りのあんたがちょび髭のコメディおじさんを目指すのは早急だと思うんだけどな。
この前出た連ドラは、珍しく制服も着ず大学生でもなく、バンドマンみたいな役でなかなか似合ってた。主演俳優の咬ませ犬ポジションもちょうどよくて、結構SNSとかでも話題になってて。ああいう役で映画とか出られたらいいよね。映画館の大きなスクリーンで、きれいな顔をめいっぱい晒してファン獲得って感じで……。
ピロピロと音がして、お風呂が湧いたワンルームの現実に引き戻された。二十二歳、専門学校を卒業して社会人二年目。六畳半の私のお城はなかなかの生活感を醸している。だってさ、毎日仕事して、友達とか彼氏と遊んでたら生きてくだけで精一杯。将来を見据えている分、奴の方がよっぽどちゃんとしてる。それは間違いない。今日買ってきたばかりの、テレビ雑誌のインタビューページの中からから見つめ返してくるその視線をふいっと逸らして、自由演技ばりに服を脱ぎ捨てながら風呂場へ向かう。
私が、絶賛売り出し中の若手俳優・唐川瑠璃の幼馴染兼親友なのはホントに本当。たまにインタビューやなんかで奴が言ってる〝地元の親友〟とは、今まさに浴槽に入浴剤をぶち込んでいる私のことだ。サイケな黄緑色が広がるお湯にどぼんと浸かる。
ただし、その親友がこんなんとはいえ女の子であるということが一応トップシークレットであるように、私が唐川瑠璃のファンクラブに入っていることを、私の部屋に積まれた雑誌やグッズの山を、出演番組がきちんと編集してダビングされたBlu-rayディスクのことを、瑠璃は知らない。

02:PEACH

「あのさ、LINEブロックされたことってある?」
閉店作業の最中、店長がいきなり話しかけてくる。私と、一緒にレジ締めを終えたばかりの先輩が振り向く。なんの話?
「したことならあるけど」
と、先輩。一個上の、歳が近くて頼りになるこの先輩のことが私はかなり好き。美人だしはっきりものを言う感じが良い。それでいて後輩には優しいし。
「え、誰を?」
「元カレ」
「あ〜まあそれは……じゃなくてぇ」
と、頭をぽりぽり掻いてる店長はいつもニコニコしてて、ちょっと弱気なアラサー。とにかく良い人。おかげさまで私はこの職場のことが結構好きだ。
「結構仲良かった友達に、突然ブロックされちゃったんだよね。理由もわかんないからなんか嫌なこと言っちゃったかなーとか色々自分のこと責めてたんだけど」
切りそろえられた前髪の奥に八の字に下がった眉毛が透けて見えるよう。私はハイハイって手を上げて発言する。
「店長は悪くないと思います!」
「いや、店長が悪いでしょ」
食い気味に先輩の反論。好き勝手なことを言う従業員二人に目を白黒させる店長。私は思わず笑い出しそうになる。
「どうせ、店長がずっと良い人ぶってたから舐められたんでしょ。そんな失礼な態度取られるなんて」
「そ、そうかな……」
結局のところ店長の味方な先輩は優しいけど、言ってることは厳しい。優しい人は損をする、わけではない。ただ、優しいとか弱いと思われると馬鹿にされたりつけ込まれたりするんだなって、たった二十二年の人生だけどなんとなくわかってきた。気持ちだけでも見せかけでも強くなきゃ生きづらい。だからみんな自信が欲しい。
「いやでもね、ショックだったけど、離れてみたらなんだかちょっと新しい気持ちになったっていうか」
店長はいつもの少し困ったような笑顔のまま、ちょっぴり背筋を伸ばしている。
「やっぱ日々付き合う人によって、良くも悪くも生活及び人生っていうか? そういうの変わるんだなって思ったんだよね。友達ってなんだろうって昔からたまに考えてたけど、ああこんなに影響を与え合っていたんだな〜って実感して」
友達ってなんだろうなんてあんまり考えたことなかった。店長はやっぱり大人で、たまにすごい。私にとって友達って何?
「ブロックされちゃったってことは、そういう運命だったんだなと思って、今いる周りの人を大事に最近は過ごしてるって話」
「すごいですね、店長。深いです!」
「全然深くないって。結局、店長が誰にでも良い人ぶるのは興味のなさの裏返しなんだよ。こわーい」
「……」
「あと、店長はLINEで変な絵文字使うのやめた方がいいと思う」
「え! そんな変!?」
「うん。あのいっつも使ってくる桃の絵文字、あれなに?」
「それ私も気になってました!」
「うそ……可愛いからハートの代わりにつけてただけで……ショック……」
「なんかやらしい意味かと」
「それだけは違うから!」
三人でゲラゲラ笑って、あー今日もいい一日だったって感じ。お疲れ様って言い合ってしまえばそれぞれの生活があるけど、職場の仲間ってわりと運命共同体だなと思う。家族とも友達とも違う関係値が心地よい。
それに、別に働くの好きとか意識高い感じと違くて、私は働いている私のことが好き。専門行ったのも早く社会人になりたかったから。そしてそれは、瑠璃が幼いながらに『仕事』をしていた姿に影響を受けているのかもしれない。友達って思ってるより、自分の一部なんだ。やっぱり店長はすごい。

03: SOUR GRAPES

最近はよくつるんでいる、シフト制の平日休みでも遊べる大学生の友達。お互いなんとなくミーハーで、それなりに見栄っ張りで、そのためだったら気合い入れられるよねっていう部分の感性が似てて、今日も有名なパーラーに張り切って朝から並んだ。
 この前の店長の話を聞いてから、友達についてつい考えてしまう。学生の頃は、わざわざ作るようなものじゃなくて自然に仲良くなるもんだとか、ピュアに思ってた。ううん、まだそう思っていたいなって気持ちが、私の心には頑固にこびりついてる。
「お待たせいたしました」
きらきらのフルーツパフェに可愛いと声をあげる私たちが可愛い。飾り切りされたりんごの淡い黄色と繊細な赤、いちごの内側の滲むピンク、ビビッドに目に飛び込むオレンジ、触れたら崩れ落ちそうなじゅくじゅくのメロンの黄緑を包み込む純白の生クリーム。二千七百円もするそれは一見素朴なようで、人間がビニールハウスで綺麗に育てた綺麗な果物だけを集めて作った紛い物。可愛いは全部嘘だ、と思う。
「パフェって写真撮るの難しいよね」
「わかる」
食べたらなくなってしまうから、写真に残しておこうって思う。それは普通のこと。
「自撮りもしよ」
精一杯腕を伸ばして、パフェと一緒にふたりの顔が映るように。目を見開いて少しだけ口角をあげる。フィルターを通して歪みながらコンマ数秒遅れで映し出される画面の中の自分をしっかり見据えて、ぱしゃり。
「ストーリー載せていい?」
「私も載せる〜」
インスタを開きながら、パフェ越しの友達の淡い紫のトップスがすごく可愛くて、良いなあと思う。ゆるくカールしたロングヘアも似合ってる。でも、私が今まさにスマホを操作してる指先もキラキラで、カジュアルなスタイルに映えてるよね。はい、ツーショットは瞬く間にインターネットの海へ。
せっかくきれいに着飾った今日の私たちだって、今日しかないのだ。そんなに大勢に見てほしいわけでもなくて、でもせっかくなら、すぐになくなってしまうから、できるだけ残しておきたい。そうでしょ?
やっとスマホを置いたら長いスプーンを手に取って目配せ。
「いただきまーす!」
 どれもよく熟れたフルーツのぶわりと刺激的な果汁と柔らかな果肉。溶けるような生クリームはとても甘い。バナナ味のアイスクリームがやけに美味しくて、冷えて鈍感になる舌先はパフェグラスの下の方に溜まったジャムやシロップまでぺろりと平らげる。
 美味しかったねと言い合う間もなく、あとは無限におしゃべりタイムだ。味なんて忘れちゃうくらい喋り倒さなきゃ、満足できないもん。
「今の彼氏、写真撮るの下手くそなんだよね〜」
 ロングヘアをくるりと人差し指に巻きながらため息をつくわざとらしい様子も、友達だから可愛い。
「撮ってくれるだけいいじゃん、うちなんて全然だよ」
「そうかな~」
「そうだよ」
 友達がインスタにあげてる、さりげない後ろ姿やツーショットの自撮りを見てないわけないでしょ。なにもかも見せちゃうという優越感と、あえて見せないという満足感。スマホとにらめっこの私たちはいつも試されている。
サークルの飲み会に顔を出すという友達を見送ってお開き。お喋りは楽しかったのに、やっぱり友達についてとか考えすぎたせいか、いろんなバランスを取りながら一緒にいることを自覚してしまって、嫌な気分になる。友達にはあって、私にはないもの。それでも私にはこれがあるから大丈夫、みたいな? 例えばあの俳優と〝親友〟だとか?
帰り道は、ちょっとだけ生クリームが胃にもたれて、気持ち悪かった。

04:CHERRY PICK

シールを貼り付けたみたいな、強く光る満月を見上げて夜道を歩く。スーパーで買い込んだ冷凍食品を右手にぶら下げて、左手にはスマホを持って。
〈久しぶりに実家帰るけど会える?〉
 十三時間前に送った何気ないメッセージの返信は〈その日マジ握手会だから無理だわ〉で、私はそんなの知ってるくせに知らないふりしてて頭おかしい。
耐えられなくなってしまったのだ。私は、あいつと、瑠璃と親友であることに優越感を感じている。誰にも言わないで、その味をひたすら噛み締める卑しさ。自分が特別だと思える、絶対に気持ちよくなれる、そういう道具にしてしまっている。
 だから言おう、と思った。でも結局どう切り出していいのかわからなくて、家に着いて、買ってきたものを冷凍庫にしっかりしまって、寝間着に着替えて布団に潜り込んでから、ファンクラブの会報の写真を無言でぺろりと送ってみた。
ああ、もう、言わなくちゃ。どくんどくんと音が聞こえて何だろうと思ったら自分の鼓動だった。友達という均衡が崩れるのが、こんなに怖い。嫌だな。
〈ごめんね、キモいよね、実は私めちゃくちゃ情報追ってて〉
 既読もついていないのに耐えきれなくて文章を打ち込む。
〈自分のこと話してくれると嬉しくて、そういうの見逃したくなくて、でもこんなことしてるのバレたら友達じゃいられなくなるかもって怖くて言えなくて〉
〈変な意味じゃないよ、いや、彼氏いるし私〉
〈違くて、でも私は結構あんたが特別すぎて瑠璃が頑張ってること私には関係ないのに関係あるように思い込んで得意になってる〉
〈こんなのダメだよね、変だよね〉
あ、既読がついた。心臓がバクバクしてる。お布団の暗闇の中でトーク画面が明るく目に刺さって涙が出そう。
〈えーっと〉
 短い文章で困惑した顔が浮かぶ。でもそれは私の目の前でしてくれた顔だっけ。ドラマの中で見た表情だっけ?
〈なんとなくわかるような、わかんないような、だけど〉
 優しくてぶっきらぼうなひらがな。まあ落ち着きなよって声が聞こえるようで、昔からそんなことばかり言われていたと思い出す。
 小学生の頃、勝気なくせにすぐパニックになって泣き出す私を、弱虫のくせに変に落ち着いている瑠璃が宥める様子がコントみたいだと言われてセット扱いされて、嫌じゃなかった。性格は反対だけどどこか似た者同士の凸凹コンビ。『俺たち親友な!』『うん!』って言い合ったあの日も、随分くだらないことで一致団結していた気がするけど……。
〈嫌じゃないし、うれしいよ〉
〈変な仕事してるのは俺のほうだし、迷惑かけてたら、ごめん〉
スマホが二回震えて、引き続き優しさ溢れるメッセージに本格的に涙腺がヤバくなったあたりで、もう一回バイブレーション。
〈でも俺、正直知ってた。だって「芸能人になるなら私と親友になって」って言ってたもん、お前〉
〈え?〉
 そうだ、記憶がよみがえってきた。中学生になって、男子と女子が仲良しというだけでヒューヒューみたいな変なノリの中で、どうするべきかを真面目に会議したんだった。
『私は絶対に彼氏が欲しいから、勘違いはされたくない』
『俺は芸能人になって女優と結婚するから、勘違いはされたくない』
『でも私、友達はやめたくない。芸能人になるなら』
『俺も、芸能人になれなかったときに女友達がいないとやばいから、友達でいてほしい』
『いいよ』
『じゃあ、俺たち親友な!』
『うん!』
 ――マジで、なんだそれ。微笑ましいというか利己的というか。友達って、親友って、ピュアなものな気がしてたけど、そういや子供の頃の狭い世界の人間関係なんて、今よりよっぽど戦略的でなきゃ生きていけなかった。
〈思い出した?〉
〈うん……〉
 心臓は落ち着いたのに、顔が信じられないくらい熱い。両頬が真っ赤になってるのが、見なくてもわかる。私ひとりで、なに大暴れしてたんだろう。
〈じゃ、引き続き親友でいてくれる?〉
 そんなことをさらっと言いやがるこいつは、やっぱり私の親友で、別に芸能人じゃなくたって私にとってはもう特別なんだ。きっかけは不純でも、自分で選んで、それだけ一緒に過ごしてきた。
〈お騒がせして、すみません〉
〈なに今さら不安になってんの〉
〈握手会頑張ってください〉
〈おい! 急に落ち着きすぎだろ〉
安心して喋れる場所があることが、うれしい。子供心はピュアだなんて幻想で、もしかして、少なくともこの感情は、大人になればなるほどピュアになるのかもしれない。
だって生きていくのは大変で、自分が特別な人間だって心から思えたら、揺るぎなく信じられたらいいのにそうもいかなくて。
〈正直、写真集ほんとに売れんのかなとか不安になってたから、そんな芸能人扱いしてくれてなんか自信ついたわ〉
〈特別でいさせてくれて、ありがとう。俺にとってもあんたは同じくらい特別だよ〉
 気恥ずかしくなるようなメッセージを、いつかまた不安になったときのために恥ずかしげもなくスクショする。友達の前なら、いいよね。
〈応援、してる〉
〈ありがとう〉
ふざけた漫画のスタンプが追いかけてきたのを確認して、私は目を閉じる。
もし私が握手会に行ったら、どんな顔をするだろう。そのときは瑠璃が昔から好きだった、さくらんぼ味の飴でも差し入れしてあげよう。うんと〝親友“ヅラをして。

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