見出し画像

いつか、ピアスを着けて、酒を飲もう。

気づけば夜になっている。
ということが最近多い。

私は一日を無為に過ごしているのかと言われればそうかもしれないけど、一応いろいろぎりぎりがんばっているつもりである(これでも)

とかいいつつ昔の自分から見ると、すごい自分は廃人だと思う。


「廃人」と言うと、中学校の同級生だったN君を思い出す。
彼とは確か1年生と3年生の時にクラスが一緒だった。


彼はなんだか浮世離れした人で、中学生のときから世の中にあまり期待してない感じがした。
休み時間はそれなりに他の男子と仲良くしてる時もあるけど、なんだか疲れたように机にべたーっとなっていて、先生からは「とろけるチーズ」とか言われていた。

あ、ここまで書いてたら、N君=廃人って言いたいのか?みたいな感じになるけど、私はけして彼のことを廃人と言っているのではない。

「廃人」という言葉をN君が言っていて、私はそこで初めてその言葉を知ったのだ。
そのエピソードを今でも覚えていて、廃人という言葉を聞くとN君を思い出す。


エピソードはこんな感じ。

話の流れは覚えていないけれど、「そんなことしたら廃人になるで」みたいなことをN君が冗談で言った。
で、その時の担任の先生がたしなめるように苦笑しながら「廃人なんてそんな、人に使ったらダメやで」みたいなことを言っていた。

その時私はハイジンという音の響きにびっくりして、躾の厳しい親のもと育てられた身としてはそのようなスレた感じの言葉がかっこいいなあと思った。
(当時の私は「やばい」と家で言っただけで40分は怒られていた。(最初の10分くらいが「やばい」に関してで、後はいろんなことを思い出されて追加で怒られてそれくらいになる))


話を戻す。
件の廃人発言から、そのような言葉をさらっと言えるN君が、私よりも大人に見えて彼に憧れのようなものを感じた。

N君は未成年なのに煙草を吸っていたり、学校に遅刻したり、宿題をやらなかったりとまあ不良少年だったのだけれど、なんだか憎めない存在で、彼の言語選択が羨ましかった。

私は学校でも家でも大人が喜ぶようなことを選んで相手の顔色を窺ってそれで喜ばれて自分の存在価値を見いだしていたような子だったから、自由奔放に生きている彼が私よりもずっと大人でかっこよく見えた。

N君が今なにしてるかはよく分からないけれど、仕事をしていたけど辞めたとか、いろいろ聞く。

でもきっと彼は、自分で選択した道を歩いていて、先生や親の顔色を窺ったりせず、自分の思うままに生きているのかなって思う。


私の今の無気力は、親から来ている部分もあるかもしれないとは思っている。自分の好きなものが認められなくて、「そんなもの好きなの?」みたいな態度を小さい時から取られてきて、親が好むようなものを好きになったり喜んだりしていた。
クリスマスプレゼントも一方的に渡されて、それに喜んでいるふりをしてたりしたなあ、、、

大学は行かなきゃいけないものだと思っていて、ここまで来てしまって今だったら専門学校とか東京の方とか、他の道も行ってみたかった。
けど、私は親に自分の気持ちを伝えても伝わらないと諦めて伝えず、結局自分が何がしたいのか何がしたかったのかがわからない状態になってしまった。

とまあ、ここまで親のせいにしてきたわけだが、、、、

それじゃあ自分は幸せになれないってわかってる。
なので、ちょっとずつ親とか周りを気にする呪いから自分を解放できるように、ちょっとずつ頑張りたいと思う。


親とかほぼ全員医者の親戚とか、世間体とか、そんなの全部置いといて、私は好きなことをきっと見つけて、それで生きていったりするんだ。


勝手にN君を神聖化してしまったけど、私はいつか彼とお酒飲んで、煙草を少しもらって、開けたピアスを自慢したり、2週間で消えるタトゥーを見せて驚かせたりしたいなあって思う。


とまあ、そんな話でした。

パウ!!!

感謝感激雨あられ!