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「なんか好き」を言葉にする

金の鉛筆


2月末までの半年間、宣伝会議主催の編集・ライター養成講座を受けていた。
講座の受講生は、私のように今から編集者やライターを目指す人や、もうプロとして活動している人、企業の広報担当など職種も年齢層もさまざま。
趣味でも仕事でも、書くことが好きで、これまでたくさん書いてきたであろう人たちばかりなので、この半年間は私にとってかなり刺激的だった!

講座内では企画テーマの立案や記事の執筆といった課題が出される。
総勢100名くらいの受講生一人一人の課題をプロの講師が見て、添削してくれる点に、この講座の価値がある。
課題で高評価を得た者には、「金の鉛筆」が贈呈されるのだが、、、


実家で写真を撮ると、どこで撮っても映えない。映えない金の鉛筆。


これ、これです、金の鉛筆。
えぇ、僭越ながらいただきました、1本だけですが。
(満足気な感じですが、受講生はみんなレベルが高く、半年間は悔しい思いをすることがほとんどだった!いや、だからこそ、受けて良かった講座だったなと改めて思う。)

私が金の鉛筆をもらったときに出された課題は、「著名人を評論する文章(エッセイ)を書く」というもの。
好意的にも批判的にも書いてよいとのことだった。
課題が出されたときから、私はこの人のことを書こうと決めていた。
「クドカン」こと、「暴動」こと、宮藤官九郎。
私は8歳のときに「マンハッタンラブストーリー」でクドカンデビューした。子供の頃から、クドカン脚本のテレビドラマが好きだ。

好きなものを、「なんか良いんだよね〜。なんか好き。」で片付けてはいけない。書く仕事がしたいなら、積極的に言語化しなきゃ!と常日頃思いつつ、なかなか行動に移せていなかったので、この課題は、私のクドカン愛を言語化する良い機会だと思った。

彼は俳優でもあり、バンド・グループ魂では「暴動」としてギター(兼ツッコミ)担当としても活躍しているのだが、課題では脚本家・宮藤官九郎について、彼の作品への愛を込めながら書いた。
読み返してみると、そんなに良い出来でもない気がして萎えるのだけど、せっかくだし、以下に公開してみる。
課題で挑戦したように、これからも、なぜ好き/嫌いなのか、良い/悪いと思うのかを、言語化する特訓をしていきたい。


明日のジブンをちょっと生きやすくするドラマ。


脚本家、俳優、映画監督、ミュージシャン...と多岐に渡る分野で活躍する宮藤官九郎(以下クドカン)。特に彼が脚本を手がけたドラマは、幅広い視聴者からの人気を集める。クドカンのドラマには、「こういう生き方もあっていいのだ」と、私たちの人生を少し楽に、おもしろおかしくしてくれるエッセンスが散りばめられているのだ。

クドカンが脚本を手掛け、二〇〇二年に放送された『木更津キャッツアイ』は、千葉県木更津市で生まれ育った若者たちが主役のドラマだ。高校時代、甲子園出場を賭けた県大会で敗れ、卒業後はふらふらと過ごしていた主人公ぶっさんが、ガンで余命を宣告されたことを機に、野球部仲間のバンビ、アニ、マスター、うっちーと怪盗団「木更津キャッツアイ」を組んで怪盗活動をしたりバンドを組んでみたりと刺激的な毎日を送る。怪盗団、ガンの余命宣告というとドラマチックな展開だが、主人公たちを取り巻く環境やキャラクター設定にはリアリティがある。

主人公のぶっさんは地元愛が強く、一度も木更津を出たことがない。一方で都内の大学に通うバンビは、地元ではエリートである。高校野球部OBのヤクザ山口と、野球部監督猫田との先輩後輩関係は、卒業後も断ち切れない。地元に残る者の都会への反発と憧れ、学生時代から変わらない狭い人間関係など、地方の閉塞感が自虐ネタとしてストーリーに組み込まれている。愛嬌のあるキャラクター設定とユーモア溢れるセリフ、おかしみのあるストーリー展開といったクドカンの技術によって、視聴者をドラマの世界に引き込み、鬱屈した地方のマイルドヤンキーの生活に、羨ましいという感情さえ抱かせる。本作のファンは、聖地巡礼として木更津を訪れるほどだ。

クドカン脚本といえば二〇二一年に放送された『俺の家の話』が記憶に新しい。能楽の人間国宝を父に持つプロレスラー観山寿一が、二十五年会うことのなかった父が危篤状態になったことをきっかけに、実家を継ぐことを決意。父には認知症の傾向が見られ、要介護認定を受けたため、寿一は姉弟、父の芸養子、ヘルパーとともに介護を分担することになる。寿一が介護、能、プロレスを通して父を支えようと不器用に奮闘する姿は、時に笑えて、時に涙を誘う。

作中に、デイサービス職員の末広と寿一の姉、舞との次のような掛け合いがある。

「(末広)介護はイベントだと思って、シルバーカー買ってみよとか、リハビリパンツ使ってみようとか、なんでも試すといいですよ。」

「(舞)そうだよね。いずれ終わるんだし、楽しまなきゃ。」

イベントだと思えば良いという末広の介護に対する見方は、家族の心の負担を少し軽くする。それに対する舞の「いずれ終わるんだし」と言う失言はクスっと笑えるものの、大切な人の死が近くにあることへの寂しさといつか終わると思わないとやっていられない家族の本音がうかがえる。

また、寿一の一人息子である秀生は、学習障害と多動症という問題を抱えている。しかし秀生は、能を習う時だけは集中力が続き、生き生きとしており、そのおかげか少しずつ学習に対する困難も克服していく。他の子どもと同じペースで成長することが絶対でなく、その子にあった環境を見つけ個性を伸ばしていくことの重要性が、本作が秀生を通して伝えたかったメッセージではないかと思う。

 私たちはそれぞれに、弱さを持っていて、普通と外れていると不安を感じることもあれば、人生が凡庸でつまらなく感じることも、これから待ち構える困難に悲観的なることもある。クドカン作品の登場人物にもそれぞれ弱さがあり、それが泥臭くリアルに表現されているのだが、ユーモラスで魅力的で愛すべきキャラクターとして描かれている。そのような作品に触れることで、視聴者も自らの弱さに寛容になることができ、ちょっとだけ人生を気楽に考えられるようになるのではないだろうか。



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