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entanglement ゼロライン

社長は二ヶ月後の解雇を私に告げた。
長引くコロナで売上の低迷は肌で感じていたし、勤務先の販売店の撤退も致し方ないと思えた。
別の販売店に私を押し込めるだけの余裕なんて会社にはもう無かったし、会社や社長を責める気は全く起きなかった。
「色々手は尽くしたのだけど.......」
すまなさそうな社長の声に、私はこの会社で働けたことを感謝していると伝えた。



ほとんどニートに近かった私をアルバイトとして迎えてくれたのがこの会社だった。

決して給料は高くない、いやむしろ少なすぎるけど、割と自由にやらせてくれるので居心地は良かった。
人が少ないので、30歳を超えて初めてマトモに社会に出たような私にも、とにかく思うようにやってみろと言ってどんどん仕事を任せてくれた。
はじめは怖々だったけれど、慣れてくると意外と楽しいと思えることもあって、何年かのちに私は正社員として会社に籍を置くようになっていた。

ささやかなアンケートで初めて職業欄の「会社員」にマルをつけた時、誇らしい気持ちになり思わず涙が出そうになったことは今でも決して忘れられない。



そんな思い入れのあった会社からの解雇を聞いた時、私は、「次が来た」と思った。
なぜなら、まさにその日の朝、認知症の母親が今後安心した生活を送るために必要な段取りが全て整い、最終的な手続きを済ませたばかりだったからだ。

父親が倒れたことで絶縁中の両親と再会し、その半年後、関係の修復を見届けるかのように父親は静かに旅立った。
残された認知症の母親のホームも見つかりもう安心だ。
次はきっと、私の番。
そんな予感がしていた矢先の解雇通達だった。



「あの、東京で空きのある店舗はありませんか?」
私は唐突に社長に質問した。
「えっ?東京に来たいの?」
社長は驚いたようだったが、大阪に先立ってリストラが始まっていた東京に私の潜り込む隙間なんてどこにもなかった。

母親の問題が解決したら、東京に住んでみるのもいいかもな。
私の中で生まれたふとした思い付きは、いつしか淡い希望になっていた。
母親の問題の解決と解雇通達は、私の仕事だけではなく、迷いやためらい、物理的心理的しがらみ全てを竜巻のように一瞬で粉々にして吹き飛ばし、後には何もない更地だけが残った。

私を大阪に繋ぎ止めるものはもう何もない。
かと言って東京に行っても、当てにするものなど何もない。
でも、ここに留まったところで、当てがないというのは変わらない。


いまなのだ。
いまがその時なのだ。

ゆるゆると地を這っていた飛行機も、まっすぐ開けた滑走路を前にして、一度、完全に静止する。
そして一呼吸おいたあとエンジン全開で圧縮したエネルギーを爆発させ一気に加速しそのまま勢いよく空に飛び込むのだ。

もう行くしかない。

それは覚悟とか決意とか、そういうたぐいの大層なものではなかった。小学校を卒業したのだから次は中学校だよねというような、ごくごく当たり前の成り行きのようにも感じられた。
不思議と落ち着いて穏やかな気持ちだった。





それから2週間後のある日の朝、私は突然思い立ち、新幹線に乗っていた。

昨夜何気なく目にした不動産屋のホームページで、好みの間取りで古いけれど手頃な家賃の部屋を見つけたからだ。
「とりあえず見るだけでも」
そう思って見に来たけれど、本当はもう決めてしまっているのは自分でも分かっていた。
ひとつだけ、手持ちの家具が収まるかの確認が済んだら最終的な決定をするということになった。
部屋に戻って家具を測ると、問題なく置ける大きさだった。
不動産屋に部屋の契約の意志を伝えよう。そう思って携帯に手を伸ばした。

「上手くいく保証なんてないけど、今やらなきゃ絶対一生後悔する。
そんなことを目の前にしたとき、社長ならどう考えどう行動されましたか?」

私はなぜか不動産屋ではなく社長にLINEでメッセージを送信していた。
社長にこんなLINEが送れてしまうほど私の会社はほんとうに家族的だなと思って笑ってしまった。

しばらくしてテーブルが細かな振動で震えた。
携帯には小さく社長の名前が表示されている。

「前向きな動機でのチャレンジは、どんな時でもやってみる価値があるものだよ」

「決めました!今から東京の不動産屋に部屋の契約意志を伝えます!ありがとうございます!!」

「健闘を祈るよ」

社長がこう言ってくれるのは分かっていた。
だからこそ私は社長に聞いてみたのだと思う。
でも本当は、ただなんとなく、部屋を決める前に社長に相談してみた方が良いという胸騒ぎに近い感覚に逆らえなかったというのが正しいように思えた。



翌日、昼休みに食堂で味噌汁をすすっている最中に社長からLINEが届いた。
お椀を手にしたまま、もう片方の手で操作する。
画面を見た私は驚きのあまり手にした味噌汁をひっくり返しそうになった。

「昨日、あれから東京で欠員が出ました。皆に相談したところ、君が東京に越してくるなら頼んでみようということになりました。どうだろうか?」

「ぜひよろしくお願いします!!!」

私は即座に返信した。
何か仕組まれたような展開だけど、どこかでこうなるような気もしていた。

「ははは、凄いタイミングだね!これからも東京でまた頼むよ!」


何だか嬉しそうな社長のメッセージを読みながら、もしかしたら社長は会議で補充人員として私を指名してくれたんじゃないだろうか、そんなことが頭をよぎった。
気のせいなのかも知れないけれど、なんとなくそんな気がしていた。

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