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幸せは消去法だ

最近、こんなことに気づいてしまった。
幸せは消去法だということである。
幸せは喜びなどの感情と異なり、加点的ではなく減点的な解釈が必要なのではないかということだ。
まず、これを理解するためには幸せと喜びの違いを理解しておかなくてはならない。その違いが分かった上で、何が消去法なのかということを書いていこうと思う。

この2つの違いはどこにあるのだろうか?僕は、時間軸の長さの違いではないだろうかと思っている。幸せは長期的に感じるものであり、喜びは短期的もしくは瞬間的に感じるものであり、それぞれ感じる時間の長さが違うということだ。例えば、あなたが何か勝負に勝った瞬間は嬉しさや喜びを感じると思うが、その感覚が数日間続くということはほとんどないだろう。逆に、この1週間幸せだったなと感じることはあったとしても、この一瞬が幸せだと感じることは難しいように思える。
このような違いは脳のはたらきにおいてもある程度説明がつきそうだ。幸せに関わっているのは主にセロトニンというホルモンであり、喜びに関わるのはドーパミンというホルモンである。セロトニンは精神の安定やストレスの軽減に重要な役割を持ち、常に一定に分泌されている。一方、ドーパミンは甘いものを食べたときに分泌されるように、一時的な快楽を感じさせるもので、分泌量のアップダウンが激しい。糖質やギャンブルへの依存などはこのホルモンが作用している。
これらをまとめると以下のようになる。
・幸せ=長期的に感じられる心の満足感
・喜び=短期的に感じられる快楽の感情

ここでやっと本題に入れる。
(毎回導入が長くなりすぎてしまうのは本当に申し訳ないと思っている。書いている僕もめんどくさいから全部はしょりたいのだが、分かりづらくなってしまうので削れないのを理解してほしい。)
なぜ幸せは消去法であるといえるのかという話だ。なぜそのように感じられるのか?
それは、幸せが全て自分の内側にあるからだと思っている。つまり、全ての人が持ち点100点の状態から始まり、加点されることはなく常に減点されていくということなのだ。幸せは自分の内側が湧いてくるものであり、他人や周りの環境から与えられるものではない。あなたには、ふと自分って幸せかもしれないなと感じた経験はないだろうか?それはまさに自分の内側の満足感に気付いたということであろう。また、なにかを失ったときにも自分が幸せだったことに気づく場合もある。大切な人やものを失ってはじめて気づく幸せも、それらのきっかけによって自分の中にある価値観をはじめて認識したということである。

では、幸せは全て内側にあるといった前提のもと、どうしたら幸せを最大化できるかということを考察してみたいと思う。ここまできたらなんとなく僕が言いたいことが分かるかもしれない。結論をいうと、減点されないことだ。幸せが加点法ではなく減点法ならば、減点されなければ100点の幸せが手に入れられるはずである。だとすれば、減点とはどういうことを指すのかということを明確にしなければならない。減点されるときというのは、自分の人生を生きないときだ。つまり、自分の人生を生きるときは減点されない。他人や環境に左右されず、自分の核となる価値観を大切に生きることが、幸せを最大化する唯一の方法なのではないか。

それを実行するには、自分の核となるものを探さなければならない。その際にも減点法的アプローチが必要だ。無限にあるさまざまな選択肢の中から自分に合わないものを一つ一つ取り除くことによって、自分の純度が高まり自分というものが特定しやすくなる。岩石の中に眠っている小さな宝石を掘り起こすような地道な作業である。そのような地道なプロセスを経て、やっと幸せだといえるものにたどり着くのだと思う。だからこそ、さまざまな選択肢を試して失敗してということを繰り返し、これかもしれないと思えるものを見つけることができるまで掘り続けるしかない。ごく稀にではあるが、いきなり探し求めていた宝石が見つかることはある。しかし、それが見つかるまでにその地道な作業をしていなければ、本当に欲しいものなのかという判断すらできない。探し求めている宝石を見つけたときに、しっかりそれが本物であると判断できるように準備をし、それを磨き上げなければ幸せは最大化されることはない。

幸せを追い求める人生とは採掘し続けることである。それをやりたいかやりたくないかは個人の好みであるが、僕は振り返ったときに満足のいく納得できる人生にしたいと強く思っている。自分が探し求めている宝石は何か、どこにそれがあるのかなど、まだ何一つ分かっていることはない。しかし、僕は目の前にある岩を懲りずに削り続け、この世で一番綺麗な宝石を手に入れるまではこの手を止めることはないだろう。

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