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場の在り方を考えるin京都

先日、2泊3日で京都に行ってきた。

任務は京都で感じたこと、気付きを見つけること。

それを言語化して新たな都市に概念として落とし込んでいく。

「すごい」とか「綺麗」とかって感想はもつのだけど、それが何故そう感じるのかを言語化させるとなると難しい、、、ガイネン、、、


【その中で個人的に面白かった場所】


青龍という明治に建てられた小学校をリノベーションしてホテルにした建物。

↓こちらは小学校のころの様子。


ここにあったポストは今も記憶のサイネージとして中庭に鎮座していた。

他にも小学校をリノベした、漫画ミュージアムなるところもあったのだが、それは本当に文字通り小学校をリノベした感じがあり、ある種のあざとさを感じた。

「どう?ほら、小学校をリノベしてるでしょ?」とすごい主張をしてくる。

青龍というホテルは言われるまで気付かないくらいホテルに昇華されていた、建物内の階段も、学校だったと言われれば学校にもみえるというくらい。

もともとの学校の建築ポテンシャルが高かったっていうのもあるかもしれない。

新しい都市開発の際に、元の土地の記憶がどの程度必要で、どのくらい残すのか、というのはとても難しい課題になる。

そんな課題にいい例と悪い例を見せてくれた京都。

次来る時はのんびりとまわりたい。

来週は、一年間参加してる「菅付雅信の編集スパルタ塾」なる講座について書いてみようと思う。

また来週!

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