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寿命とは

神に感謝して長生きする

空蝉という俳句の季語がありますが 意味は 空になったセミの抜け殻あれを見るとセミも頑張っているんだよな と思います 。

これから 日の光を浴びて 1週間 せめてもの この世にいた証として多分 抜け殻を置いて行ったんだろうね そう思うと、愛しくて 妙に悲しいです。

徒然草の吉田兼好さんが第七段[あだし野の露]にこんな事を書いてます。

命あるものを見るに、人ばかり 久しきはなし、 かげろうのゆうべをまち、 夏の蝉の春秋をしらぬもあるぞ かし

意味は

人間ほど寿命が長いものはない陽炎は飛び立ったその日に命をなくし夏しか生きられない蝉は春や秋を知らない。

この言葉を読む度に最近の人の寿命は長くなったけど、陽炎が1週間生きた話は聞かないし蝉が夏を越した話も聞かない。

これって神様はご褒美で人を長く生きて行けるようにしてくれたのか 、それとも罰で命が長くなった分 人の生き方を反省するように長生きさせているのか、 どちらか 私にはわからないけど私は神様に感謝して長生きしていくつもりです。

わかいころからカメラやオーディオの趣味を楽しみながら毎日晩酌をして、こんな老後を過ごす私ですが、半世紀以上桜の開花を見て過ごした事は本当に感謝しています。

でも新しいカメラが欲しいアンプが欲しいと外の飲みにも行かず金を貯めて買える日を待ちわびる煩悩まみれの私が、良い写真を撮れるわけも無くでも良い写真を撮れる様にカメラに願いを言いつつを磨いている。

どんな願いかって言うと カメラよカメラよカメラさん私の願いを聞いてください人々が息を飲むような写真を撮れる様にお願いします。

これを書いていて思いましたこれでは良い写真が撮れるわけないカメラに頼るより、自分の感性と腕を信じなさい と

多分こんな暮らしが一生つづくのだろう。

きょうは少し嫌なことがあり気持ちがアンダー気味です付き合って読んでいただき有難うございました。


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