見出し画像

なぜフィルムカメラに行く

足ること知ると言うより足る事を知らされる

京都龍安寺石庭で有名な寺です。
石庭の裏に蹲がありますその蹲に「吾唯足知」と書いてあります。
意味は、満足を知っているは人は貧乏でも幸せであり満足を知らない人は金持ちでも不幸である。

京都龍安寺の吾唯足知が書いてある蹲


この言葉経済中心に生活してる我々にはきつい教えですよね、ついお金の価値で考えてしまう個人の価値観では気持ちや心で考える気持ちがあるのですが他人が入ると損得を考えて判断してしまう。
写真機の流れはフイルムカメラマンからデジタルカメラに移りRAW現像などでフイルムカメラでは表せない表現も出てきました。
表現者が思いもよらない結果が出来る事も有りますしこれからはAIが表現を助けることも有るでしようね。
その事を容認すれば写真は真実を写さずに幻想を写し誤真に成りますよね。Aiではコマシヤルベースで許されても金の為に自分を売る行為で有ることは間違いありません。
コンピューターの世界は日進月歩、朝が来れば何かが産まれる宗教も法律も無く闇雲に進むだけのAIが出てきてそのうち人を抜いていくと心配する人もいます。
正に「吾唯足知」の反対に欲望のまま走っている様な気がします。
人の表現を通り越しカメラの表現が幸せを目指して不幸に全速力で走っていくような気がします。
フイルムの時代は風景写真などは素人でもロケハンをして何年もかかり理想の風景を写す人もいました。
カメラも真実から美しい表現を写した時まではカメラマンは足ることを知ってた気がしますがデジタルカメラの時代になり加工は当たり前写真から真実が消えて美しさと芸実表現だけに成りました。
いったい撮る楽しみは何処へ。

勿論フィルムカメラでも修正や加工は出来ますがそれは一部のプロの事、素人はたいがい現像引き伸ばしのみほぼ真実が写ります。
足ること知ると言うより足る事を知らされるのです。
これから写真を始める方当然デジカメでしょうねどんな感じでどの様な表現で写真を撮をとるのでしょう作品を見るのが楽しもです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?