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さかさ近況㉜


最近読んだもの、見たもの

『リバタリアンが社会実験してみた町の話:自由至上主義者のユートピアは実現できたのか』マシュー・ホンゴルツ・ヘトリング/上京 恵 訳(原書房)

 リバタリアン、というのはアメリカの自由主義者の名称だが、ある一定の勢力を誇っており、全体としては極小ながらも党派としては共和党、民主党に次ぐものらしい。ここらへんはちょっと日本ではピンとこない。
 舞台はニューハンプシャーのグラフトン。土壌としてリバタリアンが住みやすい歴史があったものの、その関係の人たちが移住してきて混乱する中、そこに「クマ」という存在が彼らの「自由」という概念自体を脅かす、というドキュメンタリー。非常に面白かった。税金を払いたくない、という欲求は同じだが、そこらへんはアメリカ人にしてみると、開拓者精神とか、そういう自己責任の究極的な部分が根底にありそうで、そこに侵入する「クマ」をどう対処していくかで、人々の反応が違い、試されている感じが、切り口としてかなりよかった。
 ツイートもしたけど、この「クマ」に対する対処の仕方にお国柄が出ていて、著者としては、「クマと共生していく」というスタンスの方を是としており、基本的に駆除を方針としていく日本との違いが興味深かった。ハノーバーで出没したクマは、安楽死の案に猛烈な反対運動が起き(被害が出ているにも拘らず)、署名運動にまで発展した。そして結局、遠くの山へ返されたのだが、それを筆者は財政的な余裕や市民の意識の高さのようなものと結びつけている(しかもクマはまた戻ってきている)。一方で、リバタリアンが席巻したグラフトンのクマは武装した市民により銃殺されていて、書き方としてはそちらのほうが「野蛮」であるようになっている。まあ向こうは土地が広いからな、とも思ったけど、ここらへん、動物に対する考え方の違いが出ているなあと思った。
 それにしても、税金嫌いで節制し続けているグラフトンの財政状況はかなり悪く、火事が起こっても対処にめっちゃ時間がかかるとか、そのくせ個人の税金の収める額自体はそこまで顕著に減ってないとか、なかなかたいへんな感じだった。
 タイトルに「社会実験してみた」とあるが、元の副題は「The Utopian Plot to Liberate」なので、ちょっとニュアンスが違うんじゃないかと感じる。「実験」的に彼らは住んできたというよりかは、いろいろな要因が重なってわらわら増えてきた、という感じだったので。あと、寄生虫が脳の活動に影響を与えている…みたいなくだりの章はさすがに推測がすぎるのでは、とも感じた。

『人間がいなくなった後の自然』カル・フリン/木高恵子(草思社)

 こちらもたいへん面白かった。
 タイトルだけ読むと、たとえば人類滅亡後の雄大な自然であるとか、もしくは廃墟的なものを想像するかもしれないが、「見捨てた土地」という表現が正確だ。チェルノブイリなどの放射線汚染地域、キプロスや第二次大戦後のドイツなどといった戦争の緩衝地帯のような、人が入らなくなった土地がどのように変化していったか、というのを実際の現地の取材に基づいて描いている。
 この視点が非常に面白くて、基本的に、このまま汚染が続いて死んでしまうような自然は「回復」をしているという観点から見ているので、ははあなるほど、という知識を得られる。と同時に、先入観的にこういった放棄地帯の自然について悲観的な見方をしてしまうのは人文中心的な感じだな、と反省もする。第10章のスコットランドのスウォナ島の話は面白い。この島には牛が飼われていたのだけれど、放棄されたあとは自然な交配が進み、以前の野生に近い形へと戻っている、というもの。実際に、畜産化された牛を自然の元の状態に戻そうという団体もあるらしい。筆者はその行為を批判的にも見ながら、「自然」とはなんだろう、という疑問もつきつける。
 一方で、じゃあ人間がいくら汚しても「回復」するからいいのか、という疑問も最終章で一定の回答を出しており、目配せも丁寧。新しい自然観を提示する本として、多くの人にすすめたいと思った。

『文藝 2023年冬季号』(文藝春秋)

 気になったものをいくつか。
 今年の文藝賞受賞作小泉綾子「無敵の犬の夜」は、ちょっとこの手の賞で珍しい九州不良小説。主人公の中学生の界は絵に描いたような不良で、橘さんという高校生に出会うことで変わっていく、みたいな筋書き。内容は置いとくとして、私が気になったのは小説の構成。この小説が抜群にうまいと思うのは文章ではなく構成だなと感じた。
橘と出会う→橘のカッコイイエピソード→橘への不信感→橘を乗り越える(ように見える)エピソード→主人公の敗北→再生(出発)の予感
この流れに、RPG経験値的にレベルアップ(ダウン)していく様子がそつなく配置されていて、とにかく読みやすい。
 同時に、お手本のような展開なので、逆に先は読めてしまう。うーん、と思っていたら、ラストに配置されている謎の女性二人組のヒッチハイクのエピソードで、お、となった。ある意味唐突とも呼べるこのくだりで、一気に物語が破綻する。この破綻は面白い破綻で、選評にも書かれている通り、このエピソードがまったく掘り下げられていないことを不思議に思った(時間がなかったのだろうか)。そういった観点から見ると、今回のこの作品は「未完」なのではないかと感じた。そして、「未完」であることが作品の質を下げることになっていない稀有な例だとも思った(例えば漱石の明暗であるように)。ちょっと気になったのは、 界、という名前はやっぱり「境界」なんですかね。それと指がない主人公の存在は、やや狙いすぎている感じもした。
 優秀作の図野象「おわりのそこみえ」は、一読して、うーん、となった。なんとなくどこかで見たような感じだなあ、令和の石原慎太郎的な世界観とか、金原ひとみ的なやつだなとか思って、選評を読んだら、町田康の「小説の筋と人間そのものは常に矛盾を来し」という文章に、おおなるほど、と膝を打った。この物語は常に矛盾している。「ファッション」として「死にたい」を形容するごと自体は新しいと思わないが、それをたぶんぜんぜん「私」が信じていないし、かといって「死にたい」が真実であるとも思ってない。行動もセリフも展開もすべてちぐはぐで、最後の家族「3」人が破滅的な行動をする描写はまさにそのちぐはぐの集大成としてなるほどすごいなあと改めて読み直した。佐佐木陸「解答者は走ってください」は狙いもわかるし読んだら面白いと思うのはわかってるけど、今の自分としては途中で挫折してしまった。また頭がはっきりしてるときにチャレンジする。
 今回は最近の文藝賞とはちょっと傾向が違うような気がしないでもなかったけど、わかりやすいフックみたいなものが見つけにくいためだろうと思った(今までの作品が「フック」を評価されているとは思わないけど)。そして当たり前だけど、選考委員の選評はなるほどなあと思った。なるほどなあ、と思いすぎてもいけないけれど。あと、全作暴力的な感じの話で、でもこれはけっこう昔から日本の文学にはある傾向な感じがしていて、そこらへんを批評している人がいないですかねえ。
「短篇を書く技術」は、私が好きなお二人が対談しているので、とても楽しんで読んだ。特に、「新人だから百枚書かないといけない、なんて、端的にもったいない」という小山田さんの言葉とか、「自分の話じゃないもの探す」という津村さんの話はいいねをたくさん押したい。私は今のところ短い話を書いているのだけど、短篇作家の生き方みたいなものが垣間見れてよかった。でも最近は、長く書かないと、ゴールが見えない話もあるよな、とも思う。この前人から言われた、「ぐるりと一周する話じゃない坂崎さんの話が読みたいですねえ」という言葉もその通りなので。

『マトリックス レザレクションズ』

 時間が空いた人気作品のリメイクというか、続編に対するお手本みたいな映画だった。ファンへの目配せとか(ゲーム会社の設定いいですよね)、ラストのトリニティの扱いとか、じゅうぶん満足できるものだった。ぜったい批判はでるはずのものを、ここまでのクオリティにつくりあげるのは、ファンとしては嬉しい。ミザリーみたいにならなくてよかった。

A波Sさぎについて

 くどくど書きたくないので、書かないが、特に音沙汰はない。ただ、小山田さんからはご連絡を頂いたので、まずは選考委員への説明があるものと信じて、外野の私はしばらく黙ることにしている。
 個人的にはいろいろと愉快でないエピソードはいくつもあるのだが、それは社というより個人の問題だろうと特に声を上げなかったが、そういう社風なのであれば襟を正してもらいたいなと思う。

 水面下ではいろいろあるが、お伝えできるものは特にない。しばし待たれよ。