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さかさ近況㉖

6月にたくさん出る短篇について

「僕のタイプライター」

 とにかく『チャイニーズ・タイプライター』(中央公論新社)が面白くて、その勢いで書いたひとつ。主人公の「私」は、同じ大学のJDという青年に中国語を個人教授するが、彼はシェフィールドが発明したとする幻のタイプライターにとりつかれて…というお話。
 作中に出てくるシェフィールドの中文タイプライターは、イラストのみがのこっていて、こんな感じ。

https://www.historyofinformation.com/detail.php?id=4833

 ほんとにこんなんで打てんの~?という気がするが、いちおう文献によれば試作機みたいなものはつくったらしい。ただ、どこまで信憑性があるかはわからない。あとたぶんこれ、超絶打ちにくい。円盤状は活字の配置が記憶ができないので、理にかなっているようでたぶん実用には適さないだろう。
 ただ、ひとりの個人がこれをつくった(考えた)という歴史はとてもおもしろかった。初めは創元SFにこっちを登場させようと考えていたのだけど、けっきょく分派して別の作品になった。幻想と怪奇は、実は前にも投稿していてまったくダメダメだったので、今回は選ばれてよかったぜ。さかさきも進歩しているようだ。
 ツイートでも書いたけど、登場人物のJDは、『新月 かぐやSFアンソロジー』の「リトル・アーカイブス」に出てくる弁護士の名前を借りた。読んだ人はわかると思うけど、彼はヤバイ人なのだけどスマートなので、たぶん弁護士としても優秀なんだと思う。

「ベルを鳴らして」

 タイプライターネタ2つめ。舞台は昭和初期の日本。シュウコは高女を卒業してから、タイピストの養成学校に通い始めた。そこで出会った中国人の先生やクラスメイトと仲良くなるが、その先生には秘密があって…というお話。
 前にも書いたけど、これは創元SFで最終まで残った作品。あえなく落選したが、たまたま別件で依頼をもらってたのでお通ししてみたら好評だったので載せてもらえた。こういうこともあるんだぞ、みんな!
 落ちた理由はなんとなくわかっていて、SFの賞として、お前の考えるSFがSFとして耐えうる物語か、というところなんだと思う(そういえば今年は選評が遅い)。読んでもらうとわかるが、まったくSF的なガジェットも用語も出てこない。物語としてもちょっと地味で、大それたことはあまり起こらない。市井の人間の、彼らが運命に抗い受け入れ続ける物語だ。正賞にするには足りない部分があるのかなあというのはわかる。でも、おもろいと思うんだよ…。
 私はテーマに戦争を選ぶことがあるが、加害側の立場をどう描くか、という点に興味がある。この話で主人公は直接軍事的行動をとっているわけではないが、それでも加害性があり、それがラスト部に大きく関わっている。そういう視点からも本作品を読んでもらえるとうれしい。
 あとこれは全く関係ないけど、読み味は、この前ジャンプラで読んだ計算手のやつと似てるかも。

「ニューヨークの魔女」

 舞台は19世紀末のニューヨーク。ある屋敷で発見された魔女を使って電気椅子の実験にとりくむ…という話。みんな大好きサーカスが出てくるよ。
 今回どの作品も、年末年始に書いたもので、ものになったのはこれが最初だったかなと思う。この辺り、とにかく短篇を書き続けていて、見てもらってはボツ、見てもらってはボツ、という武者修行のようなものをしていた。なので、編集長からオッケーもらえたときはたいへんうれしかった。もうこれもずいぶん前の話だ。

 お題を百合×SFという形で縛って書いたので、どちらの要素もあるが、だいたい1万字ちょっとの中で、びしっと決まっているのがよい。何回か読み返しても「これおもろいんじゃないかな…?」と思うので、たぶんおもろいと思う。なんかうまく伝えられないのだが…。
 一カ所、「魔女裁判というと中世ヨーロッパのイメージが強いが」という一文が出てくるが、もしかすると中世警察からはピピーとくるかもしれない(近世だろ、というツッコミですね)。気になったけど、主人公(アメリカ男性)の知識的にはこう言うかな、と思ったので…。火あぶりにしないでください。

 文芸誌とか雑誌の短編って、あんまり読んでもらえない感触があるので、しばらくむやみに宣伝するかもしれない。オレのおもしろいとみんなのおもしろいがどこまで一緒なのかも答え合わせしたい。冒頭だけ朗読とかしようかな…

最近読んだもの、見たもの

『現代ミステリとは何か』限界研編(南雲堂)

 ある方がこの本の深緑野分論と、拙作「嘘つき姫」や「同志少女〜」社会派歴史ミステリ的関連性を呟いていたので読んでみた。私はミステリは好きだが古いタイプな上に詳しくないので、現代ミステリの潮流を知る上でたいへんおもしろかった。各論かなりテイストが違うのだが、そこらへんの個性も含めて興味深い。読んだことのない作家もあり、ガイドとしてもいいが、後書きで触れられている通り、創作者側の視点から読むと勉強になる。
 あと、ネタバレにはじゅうぶん留意されたし。基本的には先に注意しているが、けっこうさらっとオチが書いてあったりするので…

『NOVA 2023年夏号』大森望編(河出文庫)

 いつか自分も載せてもらいたいNOVAの新刊。いろんな短編が読めて今回もおもしろかった。特によかったのは、高山羽根子「セミの鳴く五月の部屋」、斧田小夜「デュ先生なら右心房にいる」、溝渕久美子「プレーリードッグタウンの奇跡」。
 「セミ~」は、「五月にセミは鳴くのか」という質問をたくさん受けることになる部屋に住む女性の話。ちょっとしたゲームに巻き込まれる、という設定なのだが、このギリギリなさそうでありそうな空気感がとてもいい。最後のパンケーキのくだりが、他の作品にはない味でよかった。
 「デュ先生」はとにかく冒頭からの語り口がいい。意外に視点が動いたので驚いたが、これがまたよかった。お話としてはロバを探す、というシンプルなものだけど、ガジェットの使い方はこのアンソロジーの中で随一だと思った。今年読んだ本の中でもかなりよい短編であった。こういう作品に憧れますね。
 「プレーリードッグ」は、言語SF。動物は動物を愛らしく、しかし愛玩ではなく書くことが大事だと思っているので、これはプレーリードッグたちの主権が守られていてよかった。擬人化ではないまじのプレーリードッグなので、どんな話になるかと思いきや、ははあなるほど、という展開で、これも巧みな物語だった。動物SF書きたいですねえ。
 さて、今回のアンソロジーは「女性作家のみによる」SFアンソロジーと銘打たれているが、ここらへんは大丈夫なのかな、とはじめは思っていた。もちろん私は企画自体は賛同するし必要であると考えている。ただ、確か斧田さんだったかと思うが、こういった宣伝をすることで、余計なノイズを生むことを気にされていたような文章があった。私が「坂崎かおる」としてはジェンダーに特に言及していないのは、まず1つに、作品を読んでもらうときにあまり他の情報を入れたくないという理由がある。なので、男とも女とも他のなんの属性も開示していない。これと社会的な自分とはまた別である。
 もう一つに、どうしても社会の在り方としてここらへんをたいそう気にされる方がいるため、あまり積極的に開示したくないという消極的なものがある。という私のような、ちょっと申し訳ない感じの理由をもつ作家がいた場合、例えば今回のアンソロジーは、若い作家の方も多そうなので、「自分の作品が出るなら…」ともやっとしながらも了承した方がいないかな、というところは気になった。ここらへんは立場のバランスの違いがありそうだし。
 てなことを考えていたのだけど、他の寄稿者の方で、そこらへんは随分丁寧に対応してもらった、という記述を見かけたので、考えすぎなのかもしれない。いずれにせよ、こういう無駄な心配のない社会になってほしいし、私も目指していきたい。