劇評「ゴジラ」

 戦後間も無い時期に斯の様なドラマが観ることができるのは、正に稀有の出来事と言えよう。國が疲弊している情況で、希望を持てる作品を届けた作家に先ずは敬意を表したい。
 荒筋は単純である。或る災害が起こった中、學校の屋上に集まった男女七人の一夜を描いたものだ。災害の内容は明らかにされないが、地震など広範囲に渡るような出来事であろう。私は初め空襲かと思ったのだが、其れであれば屋上に出る訳が無いし、避難というものの意味が変っていく様も感じられた。
 物語としては主人公の一人の亘の造形が良い。リーダー的存在として、「正論」を他の面々にぶつけ続けていくのだが、其の「正論」が最後に自分自身に返ってきてしまう。しかし、其の亘の様子を、他の面々は赦すのだ。正に我が國が、他國に対して続けてきた行いを彷彿とさせるというのは深読みのし過ぎだろうか。
 恋人役の美里の男勝りな部分は観ていて正直辟易した。女性ながら理屈で攻めていく長台詞は爽快感もあったが、其れを女性役に仮託させる意味はあっただろうか。然し、新たな時代を感じさせる試みで、其れについては評価をしたい。
「皆が被害者に為りたがる」
 ぼそりと呟く様に、亘の親友の姜太郎が言う場面が秀逸で、胸にぐさりと来た。観ていた者でこれを自分の事と思わぬ者はいないだろう、一方で、七人という登場人物は一場の上演にしては数が多く、処理し切れていない感じもした。今後の作家の力に期待である。
 最後になるが、實際の學校を演劇の舞台にしたことも良かった。上演は昼間に行ったのだが、隣りでは新しく建てられた校舎で子供達が授業をしていた。時々唱歌も流れてきて、それが何故か舞台によく合っていた。計算していたのだとしたら流石としか言いようがない。作家の𠮷田君はこれが初作品という事で舌を巻いた。上演後に本人と話をする機会があったのだが、東北出とは思えない垢抜けた青年で、時事にも精通しており、大変な努力家と勉強家である事が伺える。否が応にも次作への期待が高まる。
 一点、題名の「ゴジラ」についてだが、終ぞ劇中に登場する事がなかった。観客に想像して呉れという事なのだろうが、不親切に感じた。𠮷田君に意味を聞いてみたところ、もう何年かしたら分かるだろうと、笑って答えた。もしかすると、次の作品の構想が出来上がっているのかも知れない。

(「演劇倶楽部」昭和二五年十一月号より引用)


〈了〉


☺子供の頃、なぜか宝塚ばかり観ていた時期がありました。